Q&A耕作権裁判勝利のために 市東さんの南台農地を守れ 12・11千葉地裁前情宣に集まろう
Q&A耕作権裁判勝利のために
市東さんの南台農地を守れ
12・11千葉地裁前情宣に集まろう
韓国で戒厳令が12月3日に発令されたが、無期限ゼネストを宣言した民主労総はじめ労働者人民の力で跳ね返した。激動する世界情勢はいよいよ中国侵略戦争・世界戦争へと全面的に突入しようとしている。安保粉砕・日帝打倒の新たな安保・沖縄闘争の爆発が急務だ。千葉地裁民事第2部(齊藤顕裁判長)で闘われている耕作権裁判の結審(9月30日)から1カ月以上経った11月5日、成田空港会社(NAA)は準備書面を出してきた。12・11千葉地裁への情宣活動に立ち、NAAのあがきを粉砕しよう! 今号は耕作権裁判勝利に向けたQ&Aです。
Q 耕作権裁判とは?
A 成田市天神峰の市東孝雄さんが耕す南台農地の一部(A、C、D)についてNAAが「不法耕作」と決めつけ、2006年にその明け渡しを求めて提訴したものです。
市東さん宅前の天神峰農地とBとE1の土地については、NAAは市東さんとの間で賃貸借関係にあるとして、その契約解除を求め07年に提訴(農地法裁判)。最高裁決定を受け、昨年2月に機動隊の暴力を使って天神峰農地とそこに建つ営農手段・工作物を強制執行で奪いました。
Q 空港公団(現NAA)は強制的手段は用いないと約束したのでは?
A 一審の千葉地裁・多見谷寿郎裁判長は、「話し合いが頓挫した場合は別」とNAAが言ってもいないことを補って判決を下しました。三里塚裁判が「国策裁判」たるゆえんです。
しかし裁判所によるこの苦肉の正当化も国・NAAの危機から生まれたものです。激しい闘争の結果、公団は自ら収用裁決申請を取り下げ、公共事業のための土地取り上げの最終手段・土地収用法は使えなくなりました。民事訴訟の形をとって裁判所を使って明け渡しを求めること自体が、強制収用の蒸し返しであり違法です。
Q なぜNAAが市東さんの農地の所有権を主張するのですか?
A 市東孝雄さんの祖父・市太郎さんは1912年から天神峰に住み、21年頃から地主から畑を借りて自宅前の天神峰農地と南台農地の耕作を開始し、その息子・東市さん(孝雄さんの父)が継ぎます。1988年に公団は地主・藤﨑政吉との間で南台農地の底地について売買契約を違法に交わします。ところが、これは小作者の東市さんには秘密にされていました。東市さんが亡くなり、孝雄さんが農業を継いだ後も、公団が登記する03年まで藤﨑は地代を受け取り続けていました。
文書を偽造し
Q 詐欺なのでは?
A まさにそうです。当時、B滑走路予定敷地内で数軒の反対同盟農民が買収を拒否して闘っており、農地をすぐに空港に転用できる状況にはなく、公団は農地を農地として買収する他ありませんでした。小作権付の農地の売買には小作権者の同意が必要(農地法3条)であり、同意を得ていない売買契約は無効です。農地の所有者ではないNAAに明け渡しを求める権利はありません。
Q なぜ18年もの長期の裁判に?
A 藤﨑と市東さんとの間で交わされたとする畑の位置特定に関する書類、「同意書」「賃借地境界確認書」とその添付図面が偽造されたものだったからです。この書類ではE1とBが賃借地となっています。東市さんが署名をするはずがなく、日本筆跡鑑定協会会長の筆跡鑑定で偽造との結果。NAAも、添付図面の作成者が藤﨑でないことを認めています。
Q なぜ異なる場所を賃借地としたの?
A もともとは公団も賃借地はA、Bと正しく認識していました。公団は土地収用法にもとづく強制収用の準備を87年くらいからしていて、そのときは市東家の賃借地はAとBという前提で、収用委員会にも図面を用意し提出しています。
それが急に変わったのが「境界確認書」の日付にある88年4月です。地主の藤﨑はいち早く公団に協力して買収に応じましたが、開港の遅れなどでホテルは倒産。公団への不満・怒りをもっており買収交渉が難航。事業認定の期限切れが迫る中で、底地所有権の取得を急いでいた公団は、藤﨑の書いたでたらめな手書き図をもとに、市東さんの「同意書」「境界確認書」をでっち上げて「賃借地はE1とB」としたのです。
Q そのでっち上げ文書で立ち退きを迫っているのですか?
A そもそも地主・藤﨑と交渉していたNAAの側こそが買収経過について明らかにすべきですが、隠し続けています。これだけ重要な用地交渉で、しかも土地の賃借権の特定にかかわることですから、交渉記録が何もないというのはありえません。南台農地を耕していた石橋家については詳細な報告書が存在しています。石橋担当の公団用地部課長補佐の法理哲二は、「報告書の作成について厳しく指導された。作られた書類は永久保存」と証言しました。
2011年に市東さんが裁判所に文書提出命令を出すよう申し立て、裁判が中断しました。東京高裁も「報告書等を作成していなかったとは考え難い」とし、最終的には14年に文書提出命令が確定します。これがNAAによる証拠隠しが18年もの長期裁判になった最大の理由です。
軍事空港阻止
Q 市東さんに耕作を続ける権利があると。
A そうです。Aの畑は「不法耕作地」ではありません。反対同盟法対部を手伝っていた元永修二氏が東市さんの意思に反して農地を奪われることがないかを農業委員会に確認し、東市さんからも聞き取りを行って耕作場所の確認をした88年3月19日付の「元永メモ」、市東孝雄さんの記憶、東市さんから聞いた現闘本部の仲間の証言などからもE1ではなくAが市東さんの賃借地だったことは明らかです。
Q C、Dの土地は?
A 市東さんはA、Bと一緒に借りているという認識で「平穏かつ公然に」耕作しており賃借権を時効取得しています。NAAの土地明け渡し請求は棄却以外にありません。
Q なぜ違法かつ卑劣極まる手段を使ってまで農地を取り上げようとしているのか?
A 反対同盟農民は「軍事空港絶対反対・農地死守、実力闘争」の原則を貫き58年、空港の完成を阻み続けています。この反戦の砦=三里塚闘争をつぶし、成田空港を中国侵略戦争の拠点にしようとしているからです。浜田靖一防衛大臣(当時)は22年12月の国会答弁で成田の軍事利用に言及。最近出版された熊谷俊人千葉県知事の対談本『千葉と守る』の中では、「東アジアの政治情勢が不安定化する情勢」(田村明比古NAA社長)や「地政学上の変化」(熊谷知事)を理由に成田拡張の必要性が強調されています。岸田首相(当時)は今年8月、「成田空港を核とした国際航空物流拠点機能の強化について、国家プロジェクトとして加速させる」と関係省庁に指示を出しました。市東さんの農地を守る闘いは、改憲・戦争阻止の最前線。負けるわけにはいきません。