市東孝雄さんの意見陳述 耕作権裁判 誇り持ち農民として生きる

投稿日:

週刊『三里塚』02頁(1145号02面01)(2024/10/14)


市東孝雄さんの意見陳述 耕作権裁判
 誇り持ち農民として生きる

(写真 南台農地で農作業に励む市東さん)

 空港会社の汚いやり方に屈しないし絶対に南台農地を守りぬきます
 私は天神峰で生まれ育ちました。父東市がビルマで抑留され、農地解放に間に合わなかったために自作の畑が少なく家が貧しかったので、高校には行かず外に働きに出ました。50歳になったら天神峰に帰ろうと決めていました。48歳のときに父東市が亡くなったので仕事を辞め、親父が遺言書に書いた「空港公団等に農地を絶対に売り渡さない」、空港建設に反対する生き方を受け継いで農民として生きることを決意しました。

父の署名ありえぬ

 親父は「闘う者は正直でなければならない」とよく言っていました。親父が賃借地の実際の位置と違うウソの書類(甲8、甲9)に署名し捺印(なついん)をするはずがありません。もし空港会社が甲8、甲9を持ち出すなら、いつ、どこで署名したのか明らかにすべきです。
 元空港公団用地部の法理哲二証人は「上司から報告書を書くことを厳しく指導された。書かれた報告書は永久保存」と証言しました。裁判所も文書提出命令を出し、確定しています。
 それにもかかわらず空港会社は事実を一貫して隠し続け、また証拠書類も隠蔽しています。
 親父が反対同盟法対部の仕事を手伝っていた元永修二さんにAとBが賃借地だと伝えた「元永メモ」が、証拠として裁判所に提出されています。私も石橋家の家族に当時のことを聞きましたが、誰もが空港会社の主張は間違っていると言っていました。それどころか空港会社自身がA・Bの土地を父東市の賃借地と認めて収用委員会に書類を提出しているではないですか。
 空港会社は、地主の藤﨑から底地を買ったことを親父に知らせず、地主に対しても黙っていろという「覚書」を結んでいました。私が帰ってきてからも地主藤﨑は平然と地代を受け取り、堆肥置き場を造る許可まで出していました。空港会社と藤﨑は結託して、Aの土地が市東家の賃借地である真実を否定しようとしています。空港会社の主張は全く信用できません。
 私は何度も裁判に出て空港会社の汚い、不誠実な対応を見てきました。違法なことまで平気でやる卑劣な組織である空港会社が私を被告にして明け渡し裁判を起こしたために、私は新聞に「不法耕作の男」と書かれました。私は、親父や私が南台農地を不法耕作していると裁判で平然と主張している空港会社を絶対に許すことができません。
 空港公団は強制的手段は用いないと誓約し、収用裁決申請を取り下げて、土地収用法に基づく事業認定は失効しました。このことも私が農民として生きていこうと決断し帰農した理由の一つでした。
 私は空港会社の汚いやり方に絶対に屈しませんし、絶対に南台農地を守り抜き農業を続ける決意です。

成田の拡張中止を

 そもそも空港会社の言う「右肩上がりの航空需要」などは全くの空論です。成田空港を敷地面積を2倍にするような空港拡張計画は明らかに無謀です。
 もし成田空港の拡張計画が現実のものになれば、単に空港周辺住民に大公害をまき散らすばかりでなく、空港は巨大な軍事基地に変貌(へんぼう)する危険があります。今進められている成田空港の大拡張は、日本全体を戦争国家に転換させる危険性の高い悪政だと思います。成田空港拡張計画は直ちに中止すべきです。
 私は自分の畑と農業に誇りを持っています。完全無農薬・有機栽培にこだわり、ハウスではなく露地で育てた旬の野菜を、「顔の見える」消費者に直接届けるのが私の農業です。すべての土台は3代100年耕し続けてきた農地です。私にとって農地は自分の命に等しい大切なものです。
 食料を生産する農民を犠牲にしては平和な社会を維持することはできません。ですから平然と農民に深刻で重大な犠牲を強い続けている成田空港建設は絶対に間違っていると思います。
 私は、成田空港の廃港と「農地は命」を訴え続け、農民としての誇りを持って生き抜きたいと思っています。
 最後に「政府や空港会社にそんたくせず裁判官の良心にしたがって判断すること」を求めます。農民を大事にして戦争のない平和な社会を築くために、是非とも成田空港会社の請求を棄却することを強く求めます。
このエントリーをはてなブックマークに追加