大地の響き 投稿コーナー

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週刊『三里塚』02頁(1143号02面07)(2024/09/09)


大地の響き 投稿コーナー

援農で汗流し充実感
 首都圏学生 大場 哲

 今回の援農では里芋の草むしりと、じゃがいも掘りを行いました。里芋の草むしりでは、里芋の葉がとても大きく、自分の身長よりも高く伸びていたのがとても驚きました。里芋の葉が私を完全に覆っているので日陰でとても涼しく作業できました。じゃがいも掘りも時間を忘れて熱中しました。
 僕は3度ほど三里塚で援農を手伝わせて頂いたのですが、汗水を流して三里塚で野菜を収穫したり、育成に携わったりすることがすごく人間的で、充実感を感じます。
 今回は新入生が一緒に来てくれ、農作業(特にじゃがいも掘り)に熱中して取り組んでいたことがとても印象的です。
 僕は三里塚の援農に行くときの楽しみはご飯なんですが、今回のどのご飯もとっても美味(おい)しかったです。三里塚で採れたじゃがいもやナス、オクラもすごく美味しくて、こんなに人を喜ばせるものの生産に携われるということがすごく誇らしく感じました。
 今回の三里塚では最終日に現地調査に行きました。その中でNAAが建設した「空と大地の歴史館」に行きました。この歴史館の目的は三里塚闘争を過去のものとして抹消するためでしかありませんでした。
 反対同盟をつぶして戦争のための空港にするために、市東さんの天神峰農地や南台農地を暴力的に奪おうとしている公団を絶対に許すことはできません。
 私は8・6ヒロシマでの大勝利の地平をもって市東さんの農地死守の闘いに必ず勝利するために闘おうと決意を新たにしました。


(写真 じゃが芋の収穫【23日】)

農地破壊に深い怒り
 首都圏学生 小柴 奏

 三里塚は、一見のどかで平穏な農地ですが、実はこの場所には長い闘争の歴史が刻まれていることを作業しているときから感じました。
 市東さんの南台農地で種まきをしているとき、飛行機が数分ごとに着陸を続けていました。ひどい騒音が響き、時には着陸した飛行機のタイヤから煙や焼け焦げる臭いも伝わってきました。じゃがいもを運んでいるすぐ隣には、去年強奪された天神峰農地が鉄板で囲まれていて、1年半前までは豊かな農地だった場所や生活していた小屋がすっかり雑草に覆われていました。その光景は、私の胸に深い怒りを呼び起こしました。
 現地調査では、特に岩山記念館と東峰神社が印象的でした。岩山鉄塔では、以前座り込みが行われていたこと、そして激しい闘いがあったことの痕跡に感銘を受けました。また、東峰神社付近の滑走路が、空港法違反に抵触しないようかさ上げされていたことには衝撃を受けました。現地調査の最後には、空と大地の歴史館を見学しました。この館では、成田空港が過去を反省し、現在は現地住民と共存しているというデマが記録されていました。このようなことを読み、国家権力は労働者や人民の力を恐れて、真実を隠し、闘いを抑え込もうと必死なのだと感じました。
 3日間の援農を通して、現地住民の意思を踏みにじる成田空港と国家権力の空港建設がいかに破綻しているかを身をもって理解しました。闘い続ける人々に応えるために、私も頑張りたいと思います。

機能強化工事を弾劾
 東京 岸上雅博

(写真 菱田地区を現地調査)

 8月28日、5回目の反対同盟の空港機能強化反対のフィールドワークに参加した。今回は、第3滑走路予定地にされた芝山町菱田地区をまわるという呼びかけに応え、1980年代の成田空港二期工事(B滑走路)粉砕成田用水決戦をやり抜いた地域だと思い、駆けつけた。
 天神峰・市東さん宅に集合するために、京成「東成田駅」を利用してまずびっくりした。成田空港の中にある駅なのに、閑散としていて、駅全体が改修らしい補修工事もなく薄暗く、上りのエスカレーターは時間制、下りのエスカレーターは「閉鎖中」の看板(故障中ではなく)が置いてあって、エレベーターはなく、階段しかない。芝山町など周辺住民のために作ったはずの空港内駅が廃村化攻撃で、さびれ果てていたのだ。欠陥空港の一環だ。
 今回は第3滑走路の建設が計画されている芝山町菱田地域を対象に、市東孝雄さん、伊藤信晴さん先頭に、騒音被害と闘う周辺住民も加わって、十数人で回った。第3滑走路にかかわる工事はやっていなくて、私が知る昔の田園風景が残っていたが、1カ所だけガードマン付きで工事をやっていた。どうも資材置き場らしい。さっそく、宣伝カーで「工事は環境破壊だ、今すぐやめろ! 農地強奪に手を貸すな!」とシュプレヒコール。B滑走路延長工事弾劾のフィ―ルドワーク(成田市内)では、権力は一人も現れなかったのに、今回芝山町では、管轄が違うのか、山武警察署の刑事が「やめろ!」と怒鳴ってきた。「道路に宣伝カーなど車を停めると通行妨害になるからやめろ」という言い方は嫌がらせそのもの。車など1台も通っていなかった。
 菱田地域は騒音地域で移転した家が多く、しかし田畑は結構耕している。そこに、当初計画になかった空港機能強化(面積としては、当初の2倍にする)によって、再移転含めた地域破壊する計画のようだ。三里塚闘争58年の歴史は、今なお未完成・欠陥空港を強制している状況を作り出している。
 市東さんの南台農地の耕作権裁判の仮執行付き反動判決を何としても阻止し、軍事空港建設阻止・反戦の砦として闘おう。今回も、その反対同盟の不屈の闘魂を示した闘いだったと思う。

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