8・6広 島 原爆ドーム前集会を貫徹 「核戦争阻止」の声響かせ 弾圧・禁止策動を実力で打ち破る

週刊『三里塚』02頁(1142号01面01)(2024/08/26)


8・6広 島
 原爆ドーム前集会を貫徹
 「核戦争阻止」の声響かせ
 弾圧・禁止策動を実力で打ち破る

(写真 集会禁止攻撃を打ち破り原爆ドーム前に650人が結集【6日】)

(写真 来広した岸田やイスラエル招致の松井市長を弾劾する式典抗議デモ)

 被爆79周年8・6広島―8・9長崎反戦反核闘争は歴史的闘いとなった。被爆地の名で核武装を正当化し、反戦反核闘争をたたきつぶそうとする岸田政権による平和公園封鎖=集会禁止を、原爆ドーム前650人の不退転の決起で打ち破り集会を実力開催した。長崎市が式典にイスラエルを招かなかったことに「抗議」の欠席をしたG7各国大使は、ガザ大虐殺を続け核使用までも公言するイスラエルと一体であることが暴かれた。中国侵略戦争阻止、日帝打倒の今秋決戦勝利へ! 市東さん農地死守9・30耕作権裁判、10・13三里塚全国集会に集まろう!
 5日午後4時過ぎ、8・6ヒロシマ大行動実行委員会が呼びかけた広島市役所包囲・松井一實広島市長弾劾の集会とデモに500人が集まった。平和公園の入場規制、式典警備を業務命令でやらせようとたくらむ松井市長を徹底弾劾し、市職員に決起を呼びかけた。
 アステールプラザで前夜総決起集会が開かれた。広島大学学生自治会の太田蒼真委員長が基調を提起し、「核戦争を現実のものとしようとする戦争屋どもの式典を許さない。被爆者の闘いを受け継ぎ、原爆ドーム前を実力で死守しよう」と訴えた。宮原亮事務局長は、「どんな弾圧にも絶対に引かない。必要なのは一糸乱れぬ団結」と呼びかけた。
 直ちに原爆ドーム前に移動し午後10時から座り込み突入集会。警察・右翼の妨害をはねつけ夜を徹し座り込みを続けた。
 翌6日、午前4時過ぎ、広島市当局が機動隊を引き連れ、退去通告するが「法的根拠を示せ!」の声にうつむくのみ。空が白むにつれて全国の仲間が続々と合流。長身の隊長を先頭に機動隊数十人が現れ、いよいよ排除かと思われたが、我々の気迫と規模の前にたじろぎ、何もできず。
 午前7時、「我々は集会禁止攻撃を許さず、警察権力に一指も触れさせなかった」と宣言し、歩道からの参加も含め650人で大集会を開催した。式典弾劾デモに立ち岸田発言を痛撃した。
 午後から8・6ヒロシマ大集会が県立総合体育館で開かれた。被爆者、被爆2世・3世、沖縄、福島、韓国・テグ、動労千葉、関西生コン支部、港合同、全学連などが核戦争を阻む決意を表明し、意気高く市内デモを貫徹した。

終夜の座り込みに完勝
 三里塚現地闘争本部員 永井 隆

(写真 固くスクラムを組み原爆ドーム前を徹夜で死守)

 79年間の被爆者の怒り、怨念を継承体現した数百の不屈の実力決起は、松井一實市長の不法な公園封鎖・反戦反核集会禁圧・戦争式典化策動の反被爆者・反人民の全き不正義性を暴き出し、完全勝利を勝ち取った。
 三里塚現闘は、昨年の市東さん農地強奪阻止決戦を引き継ぎ、極寒とは真逆の酷暑にも負けず「明るく楽しく」(市東さん)戦い抜きました。私の反戦反核の原点は、小学5年時に資料室で雑然と積まれていた原爆写真集を見た時の衝撃に発します。星野文昭同志が同様の経験をしていたことを知った時には感激しました。

戦争式典許さず

 今年の8・6は、戦争会議としてのG7広島サミットに続き、ヒロシマを反戦反核の地から核戦争推進賛美の地に反転させんとする戦争式典化の暴挙を絶対許さず、「戦争絶対反対! 万国の労働者、団結せよ! 核戦争の前に帝国主義を打倒しよう!」を全世界に発信し、絶対非和解・非妥協の階級対立の決着をつける歴史選択がかかった戦いとしてあった。
 平和集会が禁止された「1950年の8月6日」(峠三吉の詩)の警察権力の戒厳令的制圧の再来を絶対許さない! 弾圧を打ち破って反戦ビラまきに決起した被爆者の怒りを我がものとして体を張ってドーム前に登場し集会を戦いとる! 結集した全同志の団結は強靭不抜であった。
 松井市長の下僕として情けなく無様な醜態をさらしただけの公園緑政課職員は、公務員労働者としての敗戦の教訓を自ら踏みにじり、再び戦争への国民総動員のお先棒を担ぐ恥ずべき官吏の姿をあらわにしました。
 警察権力は「公園条例違反」を恣意(しい)的に「威力業務妨害」だとして恫喝・警告、「退去要請→勧告→命令」を繰り返した。だが、何の法的根拠もないあからさまな反戦反核運動つぶしが全社会的に露呈することを恐れ、強制排除どころか一指も触れることができませんでした。右翼・日本会議の破廉恥な介入策動も、正義・不屈の実力闘争の前には無力さをさらけ出しただけでした。
 でっち上げ逮捕・起訴された「ヒロシマ5」の同志たちの戦いと存在こそ、反戦反核の絶対正義牲、暴処法発動の戦時下弾圧の不正義性・破綻性を逆証している。暴処法弾圧をもって8・6大行動を圧殺せんとした岸田、松井、右翼・日本会議、日本共産党スターリン主義の反革命策動は完膚なきまでに打ち破られたのである。騒乱罪には騒乱を! 破防法には破壊活動を! ひるむことなき革命派の戦闘意志をいかなる弾圧も奪うことはできない。

国際連帯の拠点

 中核派が主導しているという一点で、戦いの黙殺を図ったマスコミは、岸田の無知軽薄を共有することで破廉恥にも自滅への道をともにした。日本会議の請願に手を貸した広島市議会も、自ら広島の名を汚し存在価値を投げ捨てた。
 日本共産党スターリン主義は、広島市の集会禁止策動に賛成し加担したことで、その階級的本性を自己暴露した。
 唯一、創成以来一貫した反帝反スタ世界革命の革共同だけが、米ソ核実験反対闘争を主導し、今、岸田打倒・自国帝国主義打倒を鮮明に、差し迫る核戦争の危機と現実を全面暴露し勝利の展望を照らし出している。
 「牢に満つるとも」の戦闘気概を持って反戦反核を非妥協不屈に戦い抜く勢力はわれわれしかいないという危機=好機の対決構図は鮮明である。広島・長崎は沖縄、三里塚、福島とともに反戦反核、反帝反スタ世界革命へ向かっての階級的団結と国際連帯の不滅の拠点である。
 1971年佐藤来広阻止を戦い、9月三里塚へ、11月決戦へと攻め上った地平から53年、新たな時代の11月決戦へ突き進もう。

参加した被爆者の声

二度と繰り返させない
 高木美佐子さん

(写真 8・6原爆ドーム前朝集会で訴える高木さん)

 どんなに敵が弾圧しようと思っても、やっぱり反戦反核の思いはすごい熱いものがある。今年の8・6ヒロシマ闘争は、弾圧をはねのけてやり切ったなと思います。
 特に、広島の人たちがすごい時間をかけてこの7〜8月毎日毎日いろんな行動をやって、これをつくったということにものすごく感動しているし、感謝しています。
 私個人もそうだけど、やっぱり被爆者全体として、政府は戦争、再びの戦争を繰り返さないと言ったわけだから、それを踏み破ろう、変わろうとしている、そういう情勢は絶対に許せない。本当にここに来てよかったです。
 若い人、学生たちにとっても昨年の三里塚の強制執行阻止の闘争に次いで、「やり切った」「団結の力」というのをものすごい感じたと思うんだよね。これからの闘いにおける拡大の展望をすごく開いた。
 自分が被爆したというだけじゃなくて、同じクラスには戦災孤児になった人がけっこういて、その人たちは、孤児を収容する施設で中学まで育ちました。そういう多くの同級生たちの人生が全部壊された。中学までは昔でいう孤児院で育ったけど、卒業したら出ていかないといけない。私たちの時代ではそういうところを出た人はすごく差別された。ずっとそういう人生を送っているから、全然長崎に帰ってこないとか、同級生とも会わないとかね。
 それが2年くらい前にNHKでそういう人を探して放送したの。あら生きてた。いやーあの人は生きてた、よかったと。その頃はやっぱり隠れて暮らすという人生を送ってきて、だからその時だけの問題じゃない。三里塚もがんばって。

沖縄・佐賀にも参加し
 土井玞美子さん

(写真 8・6ヒロシマ大行動でデモに立つ土井さん)

 3年前に近所に引っ越してこられた方から婦人民主クラブ全国協議会を紹介していただき、集会に誘われ、いいことしているなと思って、いろんな闘争にも参加するようになりました。反戦反核を訴え、セクハラ・パワハラに対し労働組合が中心になって闘争している。これまでそういう闘いを知らなかったのでぜひ参加したいと。
 今年は辺野古新基地建設阻止の座り込みにも参加しました。沖縄では右翼がうるさかったですよ。この人たち何をしてるんやろうかと思いましたよ。みんなが静かに座っているのにガーガー、ガーガー街宣してきてから。少しでも工事を止める、基地を作っていることに対して歯止めになるかなと思って座り込み、発言もしました。
 オスプレイ配備、軍事空港化が狙われている佐賀空港にも何度も駆けつけ、座り込みにも参加しています。
 去年に続いて広島に来ました。今年の広島闘争には人がたくさん集まって本当にすごいなと思いました。
 長崎では去年は雨で、参加者が少なかったんですよね。長崎には三菱造船があるでしょ。造船に頼っているわけですよ。だから兵器を作って輸出しているのも知っているわけですよ。今年は広島に負けないくらい集まってほしいなと思います。
 若い人に訴えたいのは、やっぱり戦争を知らない世代だからね、もっと戦争を経験した人の話を聞いて、それを運動に生かしてほしいと思います。

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