大地の響き 投稿コーナー

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週刊『三里塚』02頁(1141号02面06)(2024/08/12)


大地の響き 投稿コーナー

2日間援農し充実感
 首都圏学生 大場 哲

 私は2日間援農に行き、ネギの草取りとじゃがいもの収穫を行った(写真)。天気は2日とも快晴。絶好の農業日和で、夏の暑さはあるものの、どちらの畑も風通しが良く、心地よかった。三里塚の自然を肌身で感じながら土にまみれ農作業する。私はこれになぜかものすごく癒しを感じる。
 合間合間の休憩ではお菓子、お昼にはご飯も一緒に食べ談笑した。
 仲間と共に時には談笑し、時には黙々と真剣に作業する。「三里塚の土地を守る」という共通の目的を持つ仲間と共に、一緒に野菜を収穫し、消費者が満足する美味しい野菜の生産に携わっていく。普段の賃労働では全く味わえない充実感が特段印象的だ。
 初日の夜に、現闘の人とお酒を飲ませて頂いた。そこで私は、天神峰農地の強制執行の際に、市東さんの痛みを我が痛みとし労働者・学生が逮捕も辞さず闘ったことが、革命運動への結集の決め手の一つだったと話した際に、とても喜んでくれたことが印象的だった。そこでの議論では、この農民に対する抑圧への怒りは労働者階級にとって普遍的だということが確認された。
 そして今まさに、全学連は隊列を拡大させながら、農民の命である土地を奪い中国侵略戦争を構える岸田とその先兵であるNAAへ、怒りと闘志を燃やしている。全学連は沖縄闘争で、辺野古基地の土砂搬入を止めたことを決定的な契機に、自らの力を自覚し、高揚感を持って闘いを展開している。私はこの力でもって、戦争を阻止し、南台農地を必ず死守する決意を更に固めた!

反戦の砦=三里塚は不滅
 東京 鎌田雅志

 千葉地裁で7月16日、団結街道裁判を傍聴した。証言台に立った萩原富夫さんはこの日も緊張した様子はなく、終始日常生活の延長のような自然体で頼もしかった。 
 市東孝雄さんが天神峰に帰り、父東市さんの跡を継いで決起したことはすごいことなのだが、富夫さんが東峰部落の住人となって闘いを開始したことも、同じくらい大変な出来事なのである。半世紀を超えて国家権力との実力闘争を貫いてきた三里塚闘争が、衰えることなくますます発展していくという、歴史的にものすごいことが起きているのだ。計り知れない苦労があると思う。富夫さんの存在は大きい。立派なリーダーだ。
 閉廷後の報告集会で、「1985年10・20闘争被告団長の」と指名されて発言を促されドギマギしながら、実力闘争の意義と8・6大結集を訴えた。だが、もう一つ言いたいことがあった。
 84年9月、自民党本部炎上ゲリラ戦直後1週間の異様な興奮状態の中、成田用水菱田工区着工阻止闘争が闘われた。いきり立つ機動隊から支援者を守ろうと、反対同盟が先頭に立った。その農民たちに機動隊は見境のない暴力をふるい、大ケガを負わせた上に逮捕した。
 中核派はこの闘争を境に、闘い方を変えた。固いスクラムを組み、1梯団100人位で機動隊の阻止線に正面から突撃していった。翌年の8月まで、あちこちでこの肉弾戦を繰り返した。こうやって鍛えた力が10・20闘争で爆発したのである。
 大衆的実力闘争が、全学連の若々しい力で復権しつつある。三里塚で体で学んだ闘いだ。反戦の砦=三里塚は不滅だ。

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