大地の響き 投稿コーナー

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週刊『三里塚』02頁(1139号02面08)(2024/07/08)


大地の響き 投稿コーナー

援農後の野菜は格別
 東京 村雨省吾

 毎年、梅雨の時期に援農へ手伝いに行っています。今年も合間をぬって現地へ行きました。有機農業の作業で大きな位置を占めるのがなんといっても雑草対策、つまり草取りです。梅雨時期から一気に成長する雑草たち。
 雑草をそのままにした場合どうなるか。雑草が土の養分や水分を奪ったり、日当たりを悪くして植物の成長の妨げになったり、害虫が繁殖したり...。さらに気候変動の影響から、年ごとに生える雑草や虫の種類も変わるのだとか。これは機械やAIに頼るわけにはいかず、人出がかかります。だからこそ、今が年間で援農を大募集中の時期なわけです。
 30度をこえる炎天下の草取りは、本当に身体がクタクタになります。しかし、草取りはある意味では「初心者」でもできることであり、雑草をとった後の畑を見渡すと最高にやりがいを感じます。今年から産直野菜をとりはじめて、三里塚がより身近になりました。援農で貢献した後、人参やじゃがいもを食べる喜びもひとしおです。夏季の時期には、ぜひ援農へご参加を。

今に生きる戸村思想
 東京 瀬長健一

(写真 市東さんと記念写真)

 6月23日、三里塚第2公園近くの三里塚教会で、管理人の松本憲造さんから「戸村一作の信仰とは? 映像を通して垣間見る」と題するお話を聞きました。反対同盟委員長だった戸村さんの生誕百年記念の動画の改訂版も上映されました。
 戸村委員長の名が「一作」、聖書のイサクというクリスチャン由来のお名前ということくらいしか存じませんでしたが、1903年に祖父・丑之助さんが納屋に三里塚教会を創立され、父・武芳さんを継ぐ3代目が一作さんです。
 丑之助さんは、八街の用草という農家の次男で、西南戦争へ徴兵動員され、その帰りに横浜で宣教師に出会い、三里塚の御料牧場に1875年に就職し、牧羊と農具製作工場を始めました。美術の趣味もあったそうです。
 一作さんは、1966年の反対同盟の結成において委員長に就任。直前に富里の空港反対運動に参加した経験と信念の強さから、あえて敷地内の農民ではないものの適任者だと周囲から推されます。信仰者として、革命家として、そして芸術家としての人生を貫徹しました。
 1979年11月2日に70歳で永眠するまでの13年間の闘いについて、おいの戸村裕実さんに解説していただきました。
 戸村一作さんの思想・信仰は、「信仰を真に貫くと、神の愛と義に背く『悪霊の支配権力』の呪いのクビキと闘わざるをえない」ということで、農民を国家権力が弾圧することに徹底して闘ったというお話でした。
 この思想は、21世紀の今日においてより一層の真実が含まれていると思います。
 「人間は自然に生きなければならない。農地の商品化は堕落である」という言葉も遺されています。今日のイスラエル兵のガザでのジェノサイドの継続、クリスチャンの殺害や国境なき医師団への無差別殺害という事態は、人間の心を完全に喪失させる悪霊のような支配であるととらえ返すほかありません。
 その悪霊の原因は、資本論の第1章で登場する商品・貨幣の呪物的性格です。金がなければ生きられない、金があれば何でも自由になる、金が金をつくることも可能である。ということは、貨幣と資本こそが「全能なる神」という外観で人間の心を完全に喪失させ得るということです。この怪物こそ帝国主義G7です。
 今、第3次世界大戦、中国侵略戦争のための軍事利用を前提とした成田空港2倍化の拡張計画という目前の攻撃に対して、三里塚コミューンでこの「悪霊の支配」を打ち破ることができます。
 また、戦後に沖縄に戻ることができなくなった沖縄県民が三里塚の御料牧場の周辺に入植した歴史もあり、三里塚と沖縄の連帯が生まれる必然性もあるとわかりました。
 この日は午後から、三里塚現地闘争本部の岸本豊和さんの案内で岩山記念館、三里塚と沖縄を闘った星野文昭さんのお墓、戸村一作さんのお墓も回り、最後に市東孝雄さんの南台の畑を見学させていただき、記念写真を撮りました。
 戸村思想で市東さんの南台農地を死守し、「成田空港の更なる機能強化」の実体的正体である第2横田基地創設の野望を粉砕しましょう。

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