大地の響き 投稿コーナー
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現地調査に参加して
東京 岸上雅博
「空港機能強化粉砕」フィールドワーク(3回目)が6月5日に行われるという反対同盟の案内を受け、一度参加したいと思い、駆けつけました。京成成田駅東口からコミュニティーバスに乗って市東さん宅前のバス停「天神峰」に到着。途中、駒井野や取香という部落を通過しながら、かつての団結小屋死守戦や大木よねさん宅収用阻止戦を緊張感もって思い起こしました。
空港機能強化のための準備工事は、根拠のない需要予測で空港面積を当初計画の2倍にし北総台地から住民をたたき出そうとするような政策。まさに軍事空港建設のための理由で絶対許せない。
成田市十余三の市民農園近くに車で移動。現B滑走路(2500㍍)を1千㍍延長するという準備工事の現場に向かった。東関道を付け替えて地下トンネル化(430㍍)してその上にBの延長滑走路を築こうとしている現場を調査した(ふと、裁判中の団結街道を「トンネル化」して市東さんの畑につなぐのはごく簡単な工事なのだという思いにふけった)。元の畑が今は見る影もなく地面が掘られ土がむき出しになり、ダンプ、重機が動いている。かつて田園風景だったこの地域一帯のあまりの変わりように、びっくりどころか、怒髪天を衝く怒り!を禁じえなかった。
宣伝カーと大きな横断幕、のぼりを持った仲間と共に工事現場に対し繰り返し「工事をやめろ」「農地を守るぞ」「農業破壊を許さないぞ」と必死の訴えを響かせた。
突然のデモ隊に作業員、警備員たちは、目をそらしうつむいている。 権力の動きは、ミニパトカーが1回、素通りしただけで、一人もいない。見えない!
農地をつぶし農村を破壊し周辺住民を騒音地獄にたたき込む機能強化の反人民性は明らか。今回の行動で、空港絶対反対・空港廃港の意思をしっかりと突き付けた。
戦争農政反対し街宣
全国農民会議福島支部 吾妻和位
食料・農業・農村基本法の改悪と食料供給困難事態対策法案、農地関連法改悪法案を絶対に許さない決意で、JR福島駅頭での街頭宣伝に立った。
そもそも、今でさえ農業で食っていけない状況がある中で、さらなる犠牲の拡大と大企業による農の収奪を狙うのがこれらの改悪に他ならない。この間の「週刊三里塚」による暴露に鮮明だが、まさに侵略戦争に打って出るためのものだ。許すわけにはいかない。
農家は自分の子どもにさえ「後継者になってくれ」と言えない状況に落とされて久しい。現在激しい勢いで就農人口が減少しているが、それは、まさに「食っていけない」農業の現実がそうさせているのだ。農家が未来将来を展望できなくしているのが日本の農業政策だ。それを農民の努力不足と言いなし、経営が無能だから自己責任だと切り捨てている新自由主義・岸田を許せるか。
「戦争農政許すな」「農業・農民を踏みつぶして戦争に突き進む岸田政権を打倒しよう」という訴えを駅前の隅々まで響かせ、ビラ(写真)を配った。道行く市民からは激励の声かけがあり、手ごたえのあるものとなった。
さらに、福島原発事故による放射能汚染水の海洋放出についても、まさに農民・漁民殺しの政策に他ならない。多くの反対の声を踏みにじって強行されている汚染水海洋放出こそ、「国の言うことを聞かないものは死んでしまえ」という新自由主義・帝国主義のあり方そのものだ。それは、三里塚軍事空港建設、沖縄・南西諸島の軍事拠点化、そして8・6ヒロシマ弾圧において鮮明だ。その姿こそ、農民・労働者・市民の血を吸って生きる帝国主義そのものであり、打倒されるべきものだ。街頭ではっきりと訴え、ビラは圧倒的に市民の中に入っていった。
同時に東海第二原発再稼働反対の署名活動も行われ、今まで以上の市民が協力してくれた。
三里塚・沖縄・広島・長崎・福島を貫く侵略戦争阻止・岸田打倒の闘いを共に闘いぬこう!!
米国内核実験を告発
三里塚現闘 松井剛
6月16日、千葉市内で行われたドキュメンタリー映画「サイレント・フォールアウト」の上映会(放射能汚染水流すな!千葉県実行委員会主催)に参加しました。
この映画は伊東英朗監督が、アメリカ政府の核実験によって多くの人々が被曝していた事実を明らかにするために製作したものです。1950~60年代にかけてネバダ州で行った核実験により、全土に大量の放射性物質が拡散されたことを政府は隠していました。
まず、風下のユタ州ソルトレーク市で多くの子どもたちが癌で亡くなったり様々な健康被害で苦しんでいることが、父母たちの証言で明らかにされます。
1959年には、中西部セントルイス市で健康不安を感じた女性たちが「乳歯プロジェクト」を開始。子どもの乳歯を6万本集めて分析し、体内のストロンチウム90が通常値の30倍になっていたことを突き止めたのです。政府は「共産主義者」のレッテルを張って運動を圧殺しようとしました。しかし、彼女たちは全米60都市でストライキに立ち上がり、ついに大気圏内核実験を中止に追い込みました。
アメリカ政府は核兵器開発のために101回の大気圏内核実験と数百回の地下核実験を繰り返しました。これによって大量の放射性物質がばらまかれ、広島・長崎の被爆より巨大なスケールで米大陸全体を汚染していた事実に、私は衝撃を受けました。アメリカ帝国主義の核武装政策が、自国民をも無慈悲に犠牲にしていたのです。
何よりも、科学的事実の積み上げとストライキによる核実験を中止に追い込んだ闘いは、私たちを勇気づけ、闘いの目標を明確に示してくれました。
福島原発事故後、多くの子どもたちが甲状腺がんなどの病気に脅かされているにもかかわらず、原発再稼働に突き進む岸田政権の核武装の野望と闘う決意を新たにしました。