北総の空の下で 学校給食 食料という緊急課題

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週刊『三里塚』02頁(1138号02面05)(2024/06/24)


北総の空の下で
 学校給食
 食料という緊急課題


 周辺地域で支援してくれている90歳の方と食べ物の話になりました。「戦争中は芋を混ぜたご飯が当たり前、それさえ弁当に持ってこれない子もいた。芋はもうたくさん」千葉では芋と言えばさつま芋ですが私の育った北海道ではじゃが芋、やはり父が「戦中食べ過ぎた」と芋を好まず当時流行った無水鍋で蒸し焼きにしたじゃが芋と南瓜は土曜の昼食メニューでした。北海道で採れなかったさつま芋は御馳走で、天ぷらを揚げる時は「頭の黒いネズミ」と言われても、つまみ食いがしたくて台所をうろうろしたものです。
 その方の3歳下の妹の時から給食が始まった話になり、3月に見たテレビ番組で学校給食の実現に尽力した佐伯矩(ただす)の話を思い出しました。大正時代「病気にならない人間をつくる医者になる」ことを目指して栄養士という職業を誕生させた人です。「おか
ず作りに興じるなど学者の面汚し」と言われた時代に、手近な食材で栄養バランスの取れた献立を提唱し、関東大震災や冷害で大量に生まれた欠食児童を給食で救いました。
 これは過去の話ではなく、今、日本は主食の米さえ自給できなくなる瀬戸際にあることを自覚すべきです。米農家の時給たった10円! 農民の高齢化と廃業が止まりません。
 革命を目指す私たちが、ロシア革命から託された大きな課題として、労農連帯と食料の確保があります。食料を儲けの手段に変えた資本主義社会に未来はありません。
北里一枝

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