新版・現闘員奮闘中!日誌 辺野古の闘いと連帯し 市東農地決戦の先頭に立つ北延伸工事止めた 三里塚現地闘争本部員 平井雅也

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週刊『三里塚』02頁(1138号02面03)(2024/06/24)


新版・現闘員奮闘中!日誌
 辺野古の闘いと連帯し
 市東農地決戦の先頭に立つ北延伸工事止めた
 三里塚現地闘争本部員 平井雅也

(写真 拡張工事を弾劾【6月5日】)

 3回目の工事現場のフィールドワークが行われました。前2回では、工事現場入り口でダンプが数珠つなぎになって立ち往生する中、肉薄し「工事をやめろ!」と怒りのシュプレヒコールを存分にたたきつけたわけですが、今回ダンプは最後まで全く姿を現しませんでした。きっと、弾劾の嵐にさらされるのはもう耐えられないと、近寄らずどこかで待機していたのに違いありません。
 実力の行動で工事を止めた「結果」を得た闘いとして思い起こされるのは、何といっても5・15沖縄闘争での辺野古ゲート前座り込み闘争ですね。三里塚現地からは反対同盟の萩原富夫さんが初めて参加して、座り込み参加者に「本土においても日米安保粉砕、辺野古、沖縄の闘いと連帯して闘う、そういう実体のある反戦闘争を今後も闘っていきたいと思います。三里塚闘争はその先頭でしっかりと闘っていきます」と熱烈に訴えました。今回のフィールドワークも、まさにその実践でした。
 沖縄と三里塚との関係ということでは、一昨年12月の浜田靖一防衛相(当時)の発言に触れておかないわけにはいきません。浜田は「自衛隊の使用に様々な制約・制限が課されている空港・港湾がある。具体的には、例えば、下地島空港は『屋良覚書』などで自衛隊機の使用が制限され、成田空港については1972年の取り決めで、軍事利用は絶対に認めないとされている」「自衛隊が既存施設を平素から柔軟に利用できるよう関係省庁や関係団体に協力を要請している。滑走路が長い空港は部隊の運用上の有用性が高い」と発言したのです。
 宮古島市の下地島空港は、3千㍍の滑走路を持っています。羽田空港が3千㍍級と2500㍍が各2本なわけですから、それと比べても離島の空港としては破格です。旅客機のジェット化が進んだ頃にパイロットの訓練用の空港として計画された経緯でそうなりました。「復帰」に先立つ1971年に米軍政下の琉球政府と運輸省との間で取り交わされたのが「屋良覚書」で、航空訓練と民間航空以外の目的では使用できないとされています。この「制約・制限」を取り払って軍事利用する狙いを、浜田はあけすけに語ったのです。
 下地島空港とともに、成田空港の名が挙げられています。6月7日からおこなわれた米軍が主催する大規模演習「バリアント・シールド」では、「在日米軍基地が攻撃を受けて使えない」ことを想定して日米の戦闘機が自衛隊基地で共同展開する訓練も行われました。この軍事演習から考えても、4千㍍滑走路を持つ横田基地が使えない場合の代替として想定されるのは、同じく4千㍍滑走路を持つ成田空港となることは間違いありません。米シンクタンクCSISによる中国侵略戦争のシミュレーションでは、横田基地が使えない場合の想定のみ米軍は敗勢となるとされています。成田空港の軍事利用は、中国侵略戦争のための至上命題なのです。
 三里塚闘争が反戦の砦としてぶっ立ち続けることが絶対に必要です。軍事空港建設としての拡張工事を実力阻止し、軍事利用を粉砕しましょう!
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