大地の響き 投稿コーナー

投稿日:

週刊『三里塚』02頁(1137号02面07)(2024/06/10)


大地の響き 投稿コーナー

土砂搬入を完全阻止
 千葉 中井裕也

(写真 うるま市勝連でデモ行進【18日】)

 今回の5・15沖縄闘争について、一緒に参加した青年が「新たな若き台頭が鮮明に打ち出された闘争」と総括していましたが、本当にその通りだと思います。沖縄において、青年の仲間の労働運動の攻防が激しく揺れ動く中で、断固撃ち抜かれた闘いでした。
 反対同盟の萩原富夫さんも参加された勝連駐屯地デモ。その人通りの少なさにもかかわらず、多くの反響が巻き起こりました。千葉の木更津駐屯地近隣と同じような人手でしたが、反応はまるで違いました。
 その後は、勝連近隣での青年集会。
 2日目、県庁前大街宣を撃ち抜いた後に『「復帰」52年5・15沖縄集会』が開かれました。反対同盟の萩原さんも登壇し、決定的な時には体を張って闘うことが必要だと訴えられました。
 その後のデモでも青年の新たな台頭を明確にした一昨年、昨年を上回る国際通りデモが撃ち抜かれました。
 最終日は、辺野古現地に乗り込んで土砂搬入阻止の座り込みを敢行。ゲート前では萩原さんもあいさつし、沖縄の闘いとの連帯、そして成田軍事空港粉砕の決意が語られました。
 当日の座り込みはわれわれの圧倒的な力によって隊列への手出し、ダンプカーの待機すら許さないという土砂搬入完全阻止という大成果を実現しました。
 土地の軍事化という今の沖縄の情勢は、三里塚の現在と通じるものがあります。
 あらためて、沖縄と連帯して本土でも戦争阻止を闘うことを訴えます。

沖縄の怒りは消えず
 三里塚現闘 岸本豊和

(写真 辺野古ゲート前座り込み【20日】)

 5月18日午前11時頃、那覇空港に着いた時に思った。空から目にした沖縄は戦時下の島になっていた。
 那覇駐屯地の自衛隊基地などを眺めながら、闘う沖縄人民の既成の運動を思い浮かべた。
 1972年頃の自衛隊移駐阻止闘争〜数十万人の県民大会、闘争の精神はどこへ消えたか?
 沖縄方言で「ちるだいする」という言葉がある。この意味は(日米)国家権力に対して闘う力(意志)がなくなり、無気力状態になることをいう。既成勢力(オール沖縄・連合)にあてはまっていると思う。
 連合と本土資本の支配の中で、既成指導部(オール沖縄運動)のもとで沖縄人民はバラバラにされていったと思う。しかし、沖縄人民大衆の一人ひとりの闘う心はくじけてはいない。うるま市への陸上自衛隊訓練場建設を撤回させた闘う住民の力は強く残っている。
 国際通りはいつもと変わらないように思えたが、3つの市場の店は何軒も廃業していた。
 沖縄の地元新聞2紙を買って読んだ。何と1〜2面は糸数与那国町長とエマニュエル駐日大使の反動的な翼賛記事で埋められていた。既成指導部の崩壊、無力化の現れと思えてならない。
 沖縄人民大衆の精神は今現在は、嵐の前の静けさの怒りだと思う。沖縄人民は日米両政府に対して静かな怒りを燃やし続けている。いつ爆発するか? われわれ次第である。沖縄人民・大衆の日米帝国主義への怒りは未来永劫消えることはない。闘争精神をもって必ず決起する。
 自衛隊駐屯地への抗議闘争やデモに大行進運動の一員としてはじめて参加した。
 沖縄人民・大衆の反応は絶大だった。特に、国際通りデモへの反応を見て、沖縄闘争を再生する唯一の勢力が大行進運動だと確信した。今度は、58号線(旧1号線)を3千人の規模でデモをしたいと希望をふくらませている。
 20日、辺野古新基地建設阻止の400人の座り込み闘争は圧巻だった。沖縄現地の人たちに大きな力になったと思う。アメリカ政府(米帝)や日帝の思惑はどうであれ、辺野古は沖縄人民大衆一人ひとりの力で完成しない。
 本土の動労千葉・関西生コン支部・港合同の3労組を中心とした大行進運動、沖縄で闘う同志たちの大行進運動が一つの力となり、それが沖縄人民の心に通じたと強く感じた。
 大坂正明さんの言葉通り、本土人民―労働組合運動の発展に向けて沖縄闘争をすえることだと思う。

このエントリーをはてなブックマークに追加