日米同盟粉砕、岸田政権打倒! 6・9集会東京・芝公園へ 実力闘争で戦争阻止を 辺野古現地で反対同盟が熱烈アピール

週刊『三里塚』02頁(1136号01面01)(2024/05/27)


日米同盟粉砕、岸田政権打倒!
 6・9集会東京・芝公園へ
 実力闘争で戦争阻止を
 辺野古現地で反対同盟が熱烈アピール

(写真 辺野古ゲート前座り込み参加者に訴える反対同盟の萩原富夫さん【5月20日】)

(写真 ゲート前に座り込む萩原さん)

(写真 陸自那覇駐屯地前で【20日】)

(写真 会場は満席【19日 那覇市】)

(写真 国際通りを意気高くデモ【19日】)


 5・15沖縄闘争が圧倒的な高揚感をもって闘いとられた。辺野古ゲート前に青年・学生を先頭に大結集した力で工事車両の搬入を阻止した座り込み闘争に、三里塚芝山連合空港反対同盟の萩原富夫さんが初めて参加、熱烈な連帯アピールを発した(発言別掲)。「反戦の砦(とりで)」=三里塚の真骨頂である実力闘争の思想と実践にこそ求心力がある。「若い世代の反戦運動への関心が薄い」などと泣き言を言う体制内指導部を尻目に、「中国侵略戦争阻止! 安保粉砕・日帝打倒!」の荒々しい内乱的闘いを、我と我が手で切り開く決意あふれる青年・学生と共に、日米同盟粉砕、岸田政権打倒へ怒りの6・9大デモを首都東京で実現しよう!
 「核抜き本土並み」という沖縄の人々の最低限の思いすら踏みにじって1972年5月15日に強行された「ペテン的返還」=「基地の島」の強制を根底から打ち砕く突破口を、今年の5・15沖縄闘争は切り開いた。
 改憲・戦争阻止!大行進沖縄が呼びかけた3日間の行動は、沖縄大学学生自治会の赤嶺知晃さんや沖縄コールセンター労組の青年など、地元の若い力で牽引してかちとられた。参加者すべてが、中国侵略戦争阻止の新たな安保・沖縄闘争の歴史的爆発の開始を実感する感動的な闘争となった。
 18日、第7地対艦ミサイル連隊を3月に発足させた陸上自衛隊勝連分屯地への抗議&デモを行った。住民からも圧倒的な支持の声が寄せられた。自衛隊歓迎キャンペーンは完全に打ち破られ、町の空気は一変した。
 19日、会場を満杯にして「復帰」52年5・15沖縄集会が開かれた。宮古島や石垣島で闘う住民、動労千葉、港合同昌一金属支部、三里塚反対同盟の萩原富夫さんの連帯あいさつ。さらに、8・6ヒロシマ決戦アピール。大坂正明さんを取り戻す会のアピール、全学連の決意表明など、戦時下に突入した今こそ「安保粉砕・全基地撤去」の闘いを自らの手で実現する決意が全発言にあふれた。
 350人の仲間が国際通りデモに打って出た。合流した高校生が肩車をしてプラカードを掲げアピール。「日米同盟は必要」と執拗にデモ隊に迫る右翼の空叫びとは対照的に、沿道は「戦争反対・岸田打倒」「安保粉砕・基地撤去」の圧倒的な怒りと声で満たされた。
 3日目は、大行進に結集する全国の仲間250人が辺野古座り込みに決起。全体400人の力で工事車両の搬入を阻止した。反対同盟の萩原さんが、辺野古の闘いと連帯して成田軍事空港を粉砕する決意を述べ、大きな拍手を浴びた。
 その後、陸上自衛隊那覇駐屯地での申し入れ行動。自衛隊に向け、隊内からの反戦決起を呼びかけた。
(土屋栄作)

軍事空港粉砕する 萩原富夫さんの発言

 私たちの行動として3日間の闘いをしていますが、今日は1日だけ、ほんの短い時間ではありますが、ここに座らせていただいて、沖縄のみなさんとともに闘いたいという思いでやってまいりました。
 三里塚では成田空港がいよいよ本物の軍事空港として、新たに造り変えられようとしています。新たな3500㍍の滑走路を造る。さらにもう一本の滑走路を1千㍍延長するなど、空港は拡大され、今の岸田政権の戦争政策のもとで成田も本格的な軍事空港へと変貌(へんぼう)しようとしています。私たちは絶対にこれを許しません。私たちは58年間、「軍事空港反対!」で本当に命がけで、実力闘争で闘ってきた歴史を持っています。
 この辺野古での代執行ということがありましたけども、これに対してもあきらめないで不屈で闘っている沖縄のみなさんの闘いとともに、昨年2月15日、反対同盟員である市東孝雄さんの農地が強制執行で奪われた時にも、私たちは1千人にも及ぶ機動隊やガードマン、作業員の力ずくでの農地強奪に対して本当に体を張って闘いました。
 ただ単に「反対」と言うのは簡単ですが、それで許してはいられない。絶対に許せないことが私たちにはあります。戦争のために農地や土地を奪われ、そして追い出され、豊かな農地や自然を破壊され、そして、成田市を中心とした行政の人たちは国と一緒になって、航空需要に応える、地元経済のため、お金のためと言ってどんどん空港拡張を進めています。お祭り騒ぎのようです。
 しかし、実際は岸田政権のもとでの戦争のための軍事空港造りという本質をぜったいに見誤ってはいけません。
 私たちのこの58年におよぶ闘いをさらに発展させ、辺野古のこの不屈の闘いと共に、ここで毎日座ることはできませんけども、私たちは本土でそれぞれの場所で闘う。ここには広島や長崎や、全国で闘う労働者の皆さんがたくさん集まっています。三里塚に結集して闘っている仲間がたくさん来ています。この力で、本土においても日米安保粉砕、辺野古、沖縄の闘いと連帯して闘う、そういう実体のある反戦闘争を今後も闘っていきたいと思います。三里塚闘争はその先頭でしっかりと闘っていきます。

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