団結街道
週刊『三里塚』02頁(1133号01面04)(2024/04/08)
団結街道
市東東市さんは、もともと戦争に対して反対という気持ちを持っていましたが、2度、8年という長きにわたって日本帝国主義の侵略戦争に動員され、捕虜としてビルマで抑留されます▼空港建設が持ち上がると、自らの戦争体験からこれは軍事空港建設だと直観的に見抜き、闘いに立ち上がります。ただ、東市さんは捕虜になったことへの後ろめたさ、羞恥心のようなものがあり、「どうすればよかったのか」と悶々とした思いを抱えていました▼東市さんは敗戦時に軍曹の一階級の曹長。東条英機陸軍大臣(当時)が将兵への戒めとして出した戦陣訓の一節「生きて虜囚の辱めを受けず、死して罪過の汚名を残すことなかれ」の影響もあったのでしょう▼私はレーニンの革命的祖国敗北主義を紹介しました。今、ウクライナ戦争をめぐって起きているように祖国防衛主義に排外主義的にからめとられるのはもちろん、一般的抽象的に「平和」を対置したり、「賛成でも反対でもなく」などとあいまいな態度では戦争は止められないこと。戦争当事国同士の労働者や農民が自国政府が敗北するように闘うことこそが戦争をなくす力だと▼東市さんは、塹壕をはさんで兵士や捕虜との交歓が実際にあった事実を知り、自分が捕虜になったことは恥ずべきことではなく、政府が再び侵略戦争に突き進む時には、積極的に捕虜になってでも自国政府の敗北に向けて闘うと決意を固めました。(S)