北総の空の下で 市東東市さん 黙々と闘い続けて

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週刊『三里塚』02頁(1132号02面08)(2024/03/30)


北総の空の下で
 市東東市さん
 黙々と闘い続けて


 裁判で証言するため、三里塚闘争史をひも解いて記憶をたどりました。その中で確信したのは、市東東市さんの存在の大きさです。60〜70年代の華々しい実力闘争の水面下で、空港公団が同盟切り崩しに奔走したことは、前田伸夫著『特命交渉人用地屋』で生々しく語られています。弱みに付け込む、無理難題にも応じる、政略結婚さえありの世界です。79年戸村委員長死去後委員長代行に就任した石橋政次が、空港公団との秘密交渉を開始し反対同盟全体の変質を図りますが、81年に発覚して頓挫。背景には78年暫定開港後の重圧がありました。
 事業認定が失効して代執行ができなくなる瀬戸際の80年代、空港公団は市東さんの南台農地を秘密裏に買収するため、ごねる地主の藤﨑政吉の言うなりに境界図を認めて、その後の裁判で偽造に手を染めるしかない展開になります。残った農家も、94年シンポ円卓会議という新たな切り崩しを経て脱落し、結局天神峰に残ったのは市東さん1軒でした。
 市東東市さんはそれまで一同盟員として黙々と闘い続けた人です。石橋政次とは強い信頼関係がありましたがきっぱりと決別して84年に母屋を新築し、入院中の妻を家に迎えて夫婦共に闘い続けることを表明します。
 息子の孝雄さんが東市さんの遺志を継いで帰農し、反対同盟の中心で闘っているのは18日の本人証言の通りです。市東さん父子の存在あればこそ、三里塚の今があると再確認しました。
北里一枝
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