新版・現闘員奮闘中!日誌 市東農地決戦の先頭に立つ 反戦闘争の爆発を 東市さんが作った農道 三里塚現地闘争本部員 平井雅也

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週刊『三里塚』02頁(1132号02面04)(2024/03/30)


新版・現闘員奮闘中!日誌
 市東農地決戦の先頭に立つ
 反戦闘争の爆発を
 東市さんが作った農道
 三里塚現地闘争本部員 平井雅也

(写真 裁判中も千葉地裁前で情宣【18日】)


 「春の嵐」行動と銘打った日教組奈良市の反戦春闘。赤旗たなびく一大旋風を巻き起こす闘いですね。三里塚では「赤っ風」行動とか名づける気持ちにはなれませんけれども、強風吹きすさぶ中、市東さん本人尋問の耕作権裁判闘争を闘いぬきました。
 朝方は萩原さん宅の援農でした。今年初出の葉玉ねぎの収穫と出荷準備を行いました。葉玉ねぎとは、6月に収穫時期となる玉ねぎを今の時期に超早どりする感じのもので、長ネギよりも肉厚で柔らかい葉の部分も、成長し始めで辛みの少ない玉の部分もおいしく食べられます。千葉県が全国一の生産量です。
 畑では赤っ風で全身が砂まみれになりました。花粉も盛大に舞っていたようで、マスクの下は人に見せられない今季最悪の惨状に。千葉地裁へと出発する際には、マスクも新しいのに替える必要がありました。
 裁判に先立つ千葉地裁に向けたデモは約100人の結集で、裁判闘争の山場にふさわしい最大規模の闘いとなりました。傍聴闘争も席数を大きく上回る結集で、傍聴に入れなかった仲間は裁判所前で情宣活動を行って、法廷内外一体となって裁判に臨みました。
 証言1人目は現闘の岸本さん。市東東市さんがよく口にしていた革命的祖国敗北主義の思想は、第2次大戦時の兵隊にとられた経験、とりわけ捕虜とされた経験に深く根ざしたものであることなどが証言されました。東市さんの農地死守の闘いは、日帝打倒の反戦闘争そのものだったわけです。その東市さんが同意書・確認書に署名するなど、あるはずもないことです。復員が遅れたために残存小作地となった因果とも合わせて、文書の偽造までして市東さんから農地を取りあげることの許しがたさを浮き立たせました。
 そして、いよいよ市東孝雄さんの本人尋問です。南台農地の農道は東市さんが作ったのだそうで、団結街道から見てこの農道の右と左を耕していたという孝雄さんの幼少時からの記憶は、空港会社による耕作地の位置特定が完全に間違っていることをダメ押し的に明らかにしました。孝雄さんが訴えたように、空港会社による訴えは棄却されるべきです。
 ところで、証言で出てきた南台農地の農道は、市東さん宅の援農の時にはほぼ必ず使っている道です。畑の端まできっちり耕そうとしてついついこの農道までちょっと削ってしまうことが起こりがちです。積み重なると、だんだん農道がせまくなっていきます。このところ、あんまりギリギリまで耕そうとはしないよう心がけていたところだったので、東市さんが作った農道だという話は何だかすごく印象に残りました。うっかり農道を削ってしまったら、この話を思い出して反省したいと思います。
 今回で結審も狙われていた耕作権裁判ですが、実力ではね返しました。あと何回の開廷を勝ち取るかも力勝負で決まります。ますますの大結集で千葉地裁を怒りの声で包囲し、耕作権裁判闘争に勝利していきましょう! 3・31現地闘争ではずみをつけて、日帝打倒の反戦闘争の大爆発へ!

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