耕作権裁判 「同意書」「境界確認書」に証拠価値なし NAAの主張は崩れた
耕作権裁判
「同意書」「境界確認書」に証拠価値なし
NAAの主張は崩れた
市東孝雄さんの農地をめぐる耕作権裁判が9月25日、千葉地裁民事第2部(齊藤顕裁判長)で開かれた。
午前9時、千葉市中央公園において太郎良陽一さんの司会で決起集会を行った。最初に東峰の萩原富夫さんが発言に立った。「2月の天神峰農地強制執行のようなことは二度と許さない! 耕作権裁判は、いよいよ証人立証の段階に入る。『市東さんが不法耕作している』などというNAAの訴えがでたらめであり、賃借権が成立していることを証明する。この裁判に絶対に勝とう」
続いて動労千葉の田中康宏顧問がマイクを握り、「後世の歴史家に、あの時に第3次世界大戦が始まったと書かせてはいけない」と語気を強め、軍拡に走る岸田政権を弾劾し、11・19労働者集会への結集を訴えた。
さらに関西実行委、「市東さんの農地取り上げに反対する会」の連帯発言を受け、太郎良さんのリードで高らかにシュプレヒコールを上げ、市内デモに出発した。
多彩な旗やのぼりを林立させたデモは、出勤途上や開店作業中の労働者などから注目を浴びた。
人証調べ段階へ
午前10時30分開廷。
裁判長は、9月8日の進行協議の場で以下のことを結論的に明言した。----原告NAAが裁判所の文書提出命令に従わないことで、「同意書」「境界確認書」によって賃借地の位置の特定はできない、と。
これは重大な勝利だ。この裁判の最も主要な争点である同意書、境界確認書の信用性、証拠価値について、裁判長が「ない」と認めたのだ。この二つの文書に添付された地図だけが、原告NAAの土地の位置特定の唯一のよりどころになっていた。だがこれらにまつわる関連文書・資料(空港公団用地部で当時に作成されたはずの報告書など)について「ない」と強弁し、「担当者は死んだのでわからない」としらを切るのがNAAだ。そんな怪文書に等しい同意書、境界確認書を「証拠として認めろ」という横暴が裁判所に否定され、敵の主張の最重要論点がついに崩れたのだ。
しかし、それは自動的に市東さん側の勝利を意味するものではない。裁判長は、被告・市東さん側の責任で賃借地の位置、その土地の賃借権の存在を立証することを求めてきたのだ。
その成否をかけて、次回期日以降、人証調べ(証人尋問、本人尋問)が行われる。当面する期日と証人採用、陳述書提出などが確認された。
証人尋問の第1回は11月13日、元空港公団用地部職員の法理哲二と航空写真鑑定家。
第2回は12月18日、賃借地時効取得問題についての専門家証人。
第3回は、来年1月22日に反対同盟法対部で活動していた元永修二氏。(いずれも午後1時45分開廷)
元永氏は1988年当時、市東東市さん(孝雄さんの父・故人)から賃借地の位置や耕作現況を直接聞きとって詳細な報告書(元永メモ)にまとめた。齊藤裁判長は元永氏について「最も重要な証人」と述べた。
うろたえる上野
まずは、次回の法理への尋問だ。当時空港公団用地部において、反対同盟切り崩しのために動いていた主要な人物の一人だが、NAAはこの男の安否・所在さえ明らかにしようとしなかった。
しかし反対同盟裁判事務局の入念な調査によって、ついに法理の現住所が突きとめられたことを、弁護団はNAA代理人に突きつけた。前日に電話で応対した法理本人は「自分は石橋さん(元反対同盟副委員長、天神峰)を担当していたので、市東さんにはかかわっていない。全然知らない」と言い張り、また、NAAの法務担当の「キクチさん」が、当時動いていた用地部の人間と連絡を取り合っているはずだからその人に聞いてくれ、とも述べた。
「そのキクチという人が証言可能であるなら、当然尋問の機会をいただきたい」と弁護団が求めると、キクチの名前を聞いて顔色を変えたNAA代理人・上野至は、「法理さんは勘違いか何かで自分に都合のいいことを言ってるのではないか」と震える声で言った。
途端にそれまでの静寂が破れ、傍聴席から上野の証拠・証人隠しの態度に怒りの声が殺到した。
今後の期日を再度確認してこの日は閉廷した。
報告集会が、伊藤信晴さんの司会で千葉県弁護士会館で開かれた。最初に市東さんがあいさつに立ち、「いよいよ人証の段階です。傍聴のみなさんの力が大事。NAAを追及して闘っていきましょう」と述べた。
続いて弁護団がそれぞれ発言に立ち、市東家の賃借権証明のために、特に古くからの三里塚活動家の方々は、東市さんが耕していたころの情報を寄せてほしい旨の強い訴えがなされた。
連帯発言で全学連が2月強制執行阻止闘争をはじめ三里塚実力闘争の中で育まれた力で、戦争を阻止することを誓った。