大地の響き 投稿コーナー
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英雄だった葉山さん
前進編集局 高田隆志
「葉山岳夫・清水丈夫」。この2人の名は、高校1年生だった私に強烈な印象をを与え、インプットされた。1959年11・27国会突入闘争。60年安保闘争の大高揚の出発点になった闘いだ。2万余の労働者学生が安保改定に反対して正門をこじ開けて国会構内に突入し、前庭を走り回った。私はこのニュースを聞いて、すごい、戦争に向かう政府を人民が実力で倒すことができるんだと思った。フランス革命やロシア革命のようなことが日本でも起きる、と。無条件に正義の闘いと映った。
2人は、この闘争の中心を担った全学連の指導者として指名手配され、東大緑会(法学部自治会)委員長だった葉山さんは本郷キャンパスに、全学連書記長だった清水さんは駒場に「立てこもった」。当時の学生運動と国家権力の力関係は、警察が大学構内に立ち入ることを許さなかった。籠城した2人は、毎日のように記者会見して闘いの正義性を主張した。私は毎日その様子を新聞やラジオで見聞きし、また興奮した。2人は次の統一行動で大学正門からデモに出たところで逮捕された。私にとって2人はリアルヒーローだった。
大事なことは、この2人が65年前の闘いの意志を全く曲げることなく、日本の革命運動の先頭に立ち続けてきたことだ。葉山さんが果たしてきた役割の大きさは計り知れない。69年の沖縄奪還闘争に破壊活動防止法の弾圧がかかった(本多延嘉革共同書記長=当時の逮捕)とき、真っ先に立ち上がって破防法弁護団結成に尽力したのは葉山さんだった。70年安保・沖縄闘争の巨大な爆発は、葉山さんを始めとする闘う弁護士の存在を抜きに語ることはできない。さらに、動労千葉の闘いと三里塚闘争の初期からの弁護団の責任者として50年以上闘い抜いてきたことは驚嘆すべき偉業というほかない。三里塚の戸村一作委員長、動労千葉の中野洋さんの前の関川宰委員長のころから「動労千葉と三里塚反対同盟は車の両輪」と言われていたが、この両輪とも葉山さんが支えてきたのだ。この二つの闘いに対する国家権力の総力を挙げた弾圧と攻撃に獅子奮迅の活動ではね返してきた。そこに学ぶべき多くのことがあると思う。
獅子奮迅と書いたが、葉山さんは必死の形相でというようなことではなく、きわめて穏やかな表情で闘いを進めていたと思う。苦労や葛藤は実際に相当あったはずだが、みんなの前では全く平静な雰囲気で登場していた。そこも偉い人だなと思う点である。葉山さん、お疲れ様でした。先生の闘いに学んで闘う決意を新たにしています。(昨年休刊になった雑誌『序局』の11号から19号まで「労働者農民とともに歩んで60年」というインタビュー連載をぜひ読んで下さい)