解説 違法・無法な「強制執行」 農地法踏みにじる暴挙

週刊『三里塚』02頁(1106号02面03)(2023/02/27)


解説
 違法・無法な「強制執行」
 農地法踏みにじる暴挙


 今回行われた強制執行は民事訴訟で確定した判決の執行という体裁をとっているが、その中身は徹頭徹尾、違法・無法なものだ。

農地買収は無効

 今回の強制執行は「土地(底地)の所有者である成田空港会社(NAA)が、農地法にもとづいて賃貸借契約(市東さんの耕作権)を解除したので農地・建物を収去した」という建前になっている。
 そもそも農地法とは何か? 戦前の農村では、圧倒的多数を占めた小作農(畑を借りて耕作する農民)は自分で土地を耕しもしない連中(不在地主)に高い小作料を請求され、しかも勝手に土地が売られてしまうといったことにも苦しめられた。小作争議は激発し、階級闘争と一体となって大日本帝国を揺るがした。
 戦後、GHQ(連合国軍総司令部)の指導下の農地改革で不在地主から土地を接収して小作農に土地の所有権を認めたのは、労働者階級と一体となって立ち上がる農民反乱を鎮めるためだった。戦前からの土地を求める日本農民の闘いによって戦後農地制度が作られていった。農地法はその総決算として1952年に制定された。
 農地法では、農地は耕す者が所有するのが最も適当とし、もし地主が農地を売りたい場合は、まず小作人に相談をしなければならないとした。小作人が買わず地主が第三者に売りたい場合にも小作人の同意は必須である。
 市東家の場合はどうだったのか? 空港公団(NAAの前身)は1988年、市東孝雄さんの父・東市さんに無断で地主から土地(耕作権付きの底地のみ)を買収したという。その際、旧地主と「所有権移転登記を行うまでの期間、売買を公表しない。それまで地代を受け取り続けていい」という、脱法的覚書を交わした。しかも当時、空港公団の住所は東京都内。農地法で認められていない「不在地主」そのものだ。
 「売買」は耕作者の権利保護を第一に掲げる農地法の精神から言って無効以外にあり得ない。
 そもそも対象地は東市さんの戦地からの復員が遅れたことで農地改革の手続きが間に合わず、やむなく小作地のままとなった農地だ。本来であれば市東家のものになるはずだった。さらに市東さんは農業で生計を立てている。手塩にかけて育てた農地は代替不可能。アパートなどの賃貸借契約と比較にならない強い権利が市東さんにはある。市東さんが自ら耕作をやめない限りは土地を取り上げることはできないのだ。実際、戦後一度たりとも農地法を根拠に耕作者の同意のないまま農地が奪われたことはない。

正義貫く生き方

 空港公団が強制的手段の放棄を宣言し、耕作権が盤石であることから1999年に天神峰に帰った市東さん。営農が軌道に乗り始めた2003年、底地「売買」の事実を新聞で初めて知る。父親の代から15年、地代を払い続け、領収書もある。旧地主からは肥置き場の設置の許可まで取っていた。何一つ市東さんに落ち度はない。軍事空港絶対反対・農地死守の正義貫く市東さんと連帯し、農地を奪い返そう!

このエントリーをはてなブックマークに追加