渋谷闘争初公判 大坂正明さんが陳述 「私は無実・無罪だ」
渋谷闘争初公判
大坂正明さんが陳述
「私は無実・無罪だ」
沖縄返還協定批准阻止1971年11・14渋谷暴動闘争ででっち上げ逮捕・起訴された大坂正明同志の裁判(高橋康明裁判長)が始まった。10月25日第1回公判では、逮捕以来5年5カ月の大坂同志が姿を見せ、傍聴席から拍手と激励の声が飛んだ。大坂同志は、「無実・無罪」、「星野文昭さんの無期懲役判決弾劾」、「11・14闘争の正当性」など意見陳述を行い、「この公判を反戦・反核・反改憲を訴える場として闘う」と法廷を圧倒した。
弁護団から公訴棄却の申し立てと免訴の申し立てに関する意見を述べ、「客観的物証は何もない、目撃供述は面識のないデモ参加者の供述のみで、しかもその取り調べは全く違法なもの」と弾劾した。
翌26日、第2回公判は、検察側証人の元警察官3人の証人尋問。3人とも当時のことについて、何を尋問されても「覚えていない」を連発。11月1日の第3回公判も元警察官2人の証人尋問。10日の第4回公判では、死亡したデモ参加学生の供述調書採用手続きなど年内9回の公判が予定されている。傍聴闘争に結集し、でっち上げを許さず闘おう。
証拠はでっち上げ供述のみ
大坂正明同志は百パーセント無実だ。この裁判において検察官が示した「証拠」なるものは、デモに参加した群馬の少年たちが警察・検察に強制された、デタラメな供述調書だけだ。星野同志のでっち上げにも使われた供述調書だ。権力は、大坂同志を「学生リーダーの一人」だと、ウソを百も承知で「犯人」にでっち上げたのだ。
長時間の拷問的取り調べと「殺人罪」での起訴・重刑をちらつかせた脅迫により、群馬の少年らに、取り調べで大坂同志の写真を示し、名前を教え、権力のシナリオに沿う供述を強要した。取調検事だった中津川彰は、黙秘を続ける少年の親を呼びつけ、取調室に入れ、目の前で息子を殴らせ黙秘を解かせた。でっち上げの下手人・中津川に怒りを爆発させ、政治的でっち上げを粉砕しよう(来年1月10日第12回公判)。
大坂同志が闘った1971年11月14日渋谷暴動闘争は、70年安保・沖縄闘争の頂点をなす闘いであった。大坂同志にかけられた弾圧は、労働者人民の改憲・戦争阻止の闘いを押しつぶすための階級闘争圧殺攻撃だ。
ベトナム戦争のさなか、日米安保体制の最大の実体である沖縄で「本土復帰」を求める沖縄人民の歴史的大闘争が爆発した。沖縄闘争のさらなる拡大を恐れた日帝は、首都・東京での集会やデモを禁止し、1万2千人の機動隊を投入して闘争の「鎮圧」を図った。全学連・反戦青年委員会のデモ隊は、機動隊の阻止線を実力で突破し、「沖縄の永久核基地化粉砕、本土復帰・基地撤去」「沖縄奪還、安保粉砕・日帝打倒」の声をとどろかせた。渋谷に集まった巨万の労働者人民は、機動隊を蹴散らした中核派と大合流して深夜まで街を解放区にして闘った。大坂同志はこの闘いの先頭で決起し、その後、半世紀に及ぶ弾圧(でっち上げ指名手配攻撃)との闘いに勝利してきた。
渋谷暴動闘争を闘った大坂同志の裁判闘争は、今日の改憲・戦争阻止の巨大な階級激突そのものだ。大坂同志は5年以上の未決勾留・接見禁止、獄中における医療放棄という革命家抹殺攻撃と対決し、勝利者として堂々と公判で闘うことを宣言している。不屈の大坂同志とともに、星野精神を引き継ぎ闘おう。必ず大坂同志を奪還し、労働者の未来を切り開こう。
◎公判スケジュール
年内11月15日、25日、12月2日、15日は開廷午前10時。12月20日、21日は開廷午後1時30分。12月23日は開廷午前10時。東京地方裁判所