大地の響き 投稿コーナー
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映画「日本原」を観て
東京 水樹 豊
黒部俊介監督の映画「日本原 牛と人の大地」を観た。陸上自衛隊日本原演習場のある岡山県奈義町で、50年にわたり酪農をつづける内藤秀之さん一家を追ったドキュメンタリー映画。東京で暮らしているとまず目にすることのない、酪農家の仕事と暮らしぶり、その幕間に、労働組合旗のたなびく基地反対集会や、自衛隊に詰め寄り抗議する長男・大一さんの様子が映し出される。「父が牛飼いになったのは、自衛隊と闘うためでした」----ナレーションを務める次男・陽さんの穏やかで温かみのある声も耳に残った。
秀之さんは岡山大学医学部の学生だった1969年11月、大阪・扇町公園で行われた佐藤訪米阻止の反戦集会・デモに友人の糟谷孝幸さんとともに参加。この時、デモ中に逮捕された糟谷さんが警察から暴行を受け、翌日に亡くなった。事件をきっかけに秀之さんは大学を辞め、すでに現地闘争本部が置かれていた奈義町へと移住。実弾射撃演習阻止を掲げて高揚する地元農民の反基地闘争の中にその身を投じていく。そして今では演習場内の耕作権をもつ唯一の農家となった。秀之さんが自分のことを語ったシーンは少ないが、彼のそんな生き様と飾り気のない人柄に、家族や周囲の人々が大いに魅了されている様子が伝わってくる。
日本原では、2000年代から自衛隊と米海兵隊との共同訓練が始まり、さらに18年には米軍単独での訓練も容認された。農作業のため演習場へ立ち入ろうとする大一さんの前に、自衛隊員らが立ちふさがる。問い詰める大一さんの言葉が印象的だ。「憲法が変わったらあんたらだって銃で撃ち合いをさせられる。敵前逃亡すれば銃殺にされる。ごまかしちゃいけん!」
反基地の旗を掲げ演習場内で営農を続ける内藤家は、日本原の「市東家」だ。正念場を迎えた三里塚闘争と一体で、日本原闘争が今日の反戦・反基地闘争のなかで持つ位置はいよいよ決定的である。映画を観て、思いを強くした。
土地は農民の命だ
西日本 河中 薫
週刊三里塚を毎回読ませていただいています。土地づくりに、10年はかかります。農民にとって土地は命です。戦争に使うための空港建設に絶対反対します。判決には不服従で闘いましょう。
私は80歳の春から荒野状態の田を菜園にしようと鍬(くわ)を持って耕しはじめました。広さは500平方㍍ほどで一週間に一畝(うね)ぐらいを耕してます。(写真)
現在の作物は夏物の終わり。トマト、なす、カボチャなど。秋冬物の野菜づくりの土づくりをし、大根、白菜、小松菜他の種まきをしたところです。次には、じゃがいも、ニンニク、キャベツ、レタスなど。土作りが大事です。一年目なので、仕方ないです。
台風の季節です。お気をつけて。