三里塚現闘着任の決意 農地死守決戦に奮い立ち 平井雅也

週刊『三里塚』02頁(1088号02面01)(2022/05/23)


三里塚現闘着任の決意
 農地死守決戦に奮い立ち 平井雅也

(写真 菱田デモに立つ二期決戦行動隊【91年9月16日】)

(写真 三里塚全国総決起集会で発言に立つ市東東市さん【89年10月22日 成田市東峰の畑にて】)


 団結小屋破壊攻撃と闘い抜いた1989年からの成田治安法決戦。それを前後する4年半ほど、二期決戦行動隊として三里塚現地に居た。その後半は、行動隊長だった。
 それから早や30年。今度は現闘として再びこの地に立つこととなった。
 早速、援農に向かう。案内標識にある「空港工事区域」なる方向へと曲がると、誘導路をくぐるトンネルとなっており、自分の知っている風景がすっかり様変わりしたと思うのも束の間、到着したそこには市東さんや萩原さんの変わらぬ確固たる存在があった。
 畑に向かうにも、大回りをしてフェンスに囲まれた道を奥へ奥へと進んでいく。怒りが沸々と湧いてくると同時に、「空港工事をぶっ止めている区域」とでも呼ぶべき実態があることに、50有余年の三里塚闘争の勝利の地平を確信する。
 三里塚闘争は、他に代わるもののない人民の砦だ。ウクライナ戦争から世界戦争へと向かっている今、闘争当初より軍事空港建設の攻撃としてあることを鋭く見抜いて闘われてきたことの持つ意義は絶大だ。第2インターの崩壊的状況の只中で、日帝・国家権力と実力闘争で非和解的に闘い抜き勝利してきた三里塚闘争は、反戦闘争の本格的発展の拠り所として輝きを増していくはずだ。
 だからこそ、市東さんの農地を強奪する許しがたい攻撃が激しく仕掛けられている。何としてもこれを粉砕し、成田空港の方こそ廃港し撤去するその時まで闘い抜きたい。
 日米首脳会談・クアッド粉砕の5・22闘争のデモでは、いつ以来ぶりかのスクラムデモが闘われた。この隊列の中で、二期決戦行動隊として毎日のように実力デモを繰り返していた頃の記憶が鮮やかによみがえり、がぜん空気が入った。
 三里塚現闘着任の決意をしっかり固めるべく、あの頃のデモ開始時によく絶叫していた言葉を思い返し、奮い立っていきたい。
 ----「決意はいいかァ! 行ッくぞォー!」

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