戦争反対!青年・学生を先頭に沖縄―東京で実力決起 沖縄を再び戦場にさせない 「復帰50年」5・15闘争に立つ
戦争反対!青年・学生を先頭に沖縄―東京で実力決起
沖縄を再び戦場にさせない
「復帰50年」5・15闘争に立つ
5・15沖縄闘争と日米首脳会談・クアッド粉砕の5・22全国総決起闘争が連続的に打ち抜かれた。沖縄「復帰50年」式典を徹底弾劾し、辺野古新基地建設阻止の座り込み闘争を闘った青年学生は、首都東京を揺るがすスクラムデモの先頭に立ち、沖縄・本土を貫く実力闘争が燃え上がった。世界核戦争・中国侵略戦争を止める力は私たち自身の中にある。そう確信を深めた青年・学生の反戦闘争への実力決起が時代を動かし始めている。成田軍事空港粉砕・農地死守を56年間にわたって貫く反戦・反核の砦=三里塚の真価をかけ、市東さんへの強制執行攻撃を打ち破り、岸田政権を打倒しよう!
5・15沖縄闘争(5月14〜16日)が闘われた。
5月14日、県庁前に駆けつけた約250人の仲間は国際通りデモに立った。「基地労働者が戦争止めた! ゼネストやって戦争止めよう! 死すべきなのは米軍基地だ! 労働者は死んではならない!」とシュプレヒコール。飛び入り参加が多数あった。その熱気冷めやらぬまま、改憲・戦争阻止!大行進沖縄が主催する「復帰」50年5・14集会が沖縄県青年会館で開かれた。
集会基調を沖縄労組交流センターの松本未土事務局長が提起した。
「『戦争か革命か』の時代のまっただ中での『復帰』50年の安保・沖縄闘争だ。革命の火薬庫=沖縄が火を噴く時代が到来した。軍隊は住民を守らないだけでなく、住民に銃を向けたのが沖縄戦の結末だ。絶対に繰り返すわけにはいかない。中国侵略戦争を始まる前に止めよう」
各界からのアピールの最後に赤嶺知晃全学連委員長が発言に立った。
「民衆の怒りに震えながら大量の機動隊を動員し県民を排除して献花した岸田は、もう一度沖縄戦を繰りかえそうとしている。明日の記念式典に対し、沖縄の歴史を塗りかえるような荒々しい闘い、激しいデモを叩きつけよう」。渾身の訴えが会場を一つにした。
翌15日、普天間基地に隣接する上大謝名さくら公園に結集した仲間は、記念式典粉砕デモに向けた総決起集会を行った。
大行進沖縄呼びかけ人の水島満久さんは、「米軍の弾薬庫を自衛隊が共同利用すると報じられた。今日のデモで岸田を引きずり下ろそう」と呼びかけた。沖縄コールセンター労働組合の仲間は、「自分の原点は11月集会で星野さんの話を聞いたこと。沖縄だけでなく本土でも激しく闘っていた人がいると知り自分も何か応えたいと思った。仲間と改憲・戦争阻止のストを打ちたい。私が次の星野だとの決意で今日のデモを闘う」と熱い思いを語った。
デモに出発。右翼はコースを先回りし、大音量で妨害を試みるが、彼らが鳴らす突撃ラッパは式典会場に進撃するデモ隊を鼓舞激励するものでしかなかった。家の中から手を振る人、外に出てきて「岸田は帰れ」と唱和する人もあった。
式典会場に肉薄
デモ終了後、さらに会場に接近しようと青年・学生の部隊は会場前の信号を渡ろうとした。そこに押っ取り刀で駆けつけた警官がスクラムを組んで押し返した。さらに機動隊バスを並べ横断歩道を完全にふさいだ。青年・学生は、何の法的な根拠も示すことなく暴力的に抗議の声を圧殺する警察を徹底弾劾し、次々とマイクをとり自らの思いをのせて式典会場に怒りの声を叩きつけた。
他方で、岸田は沖縄「復帰」は「日米両国の友好と信頼により可能となった」と嘘八百を述べ、米バイデン大統領は「沖縄の貢献に感謝」とふざけきったメッセージを寄せた。米駐日大使エマニュエルは中国を念頭にした「再び覇権を手に入れようとする国家の脅威に直面」「自由は無償ではない」などと新たな帝国主義戦争のために命を差し出せと迫った。戦争を引き延ばして沖縄戦を招き戦後沖縄を売り渡した元凶であるヒロヒトの孫、現天皇は「さまざまな課題がある」と人ごとのように開き直った。
2時間以上にわたり響かせた「式典粉砕・岸田打倒」「安保粉砕・基地撤去」の叫びは、沖縄の怒り・階級の怒りを体現するものとして式典を蹂躙(じゅうりん)した。岸田は会場脇から脱兎のごとく逃げ去った。
16日、辺野古現地に駆けつけた。全国から結集した500人もの仲間と米軍キャンプ・シュワブゲート前で座り込み。対して機動隊はわずか30人足らず。1時間にわたって土砂搬入を阻止した。生コン車はゲート内に入ることなく撤収。実力で闘えば勝てることをみなが実感した。