大地の響き 投稿コーナー

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週刊『三里塚』02頁(1079号02面06)(2022/01/10)


大地の響き 投稿コーナー

(写真 新年デモに立つ全学連白ヘル部隊【9日】)

守られるべき生存権
 首都圏学生 秋本安信

 今回、私は、三里塚の旗開きに参加しました。東峰神社や市東さんの農地は、本当に空港のど真ん中にあったので驚きました。また、三里塚闘争は東京や大阪などの大都市における排除・追い出しとの闘いと似ているなと思いました。
 東京では五輪、大阪では万博やカジノといった一部の資本家、権力者のみが得をするイベントの開催に伴い、公園などの公共空間では、行政権力によって野宿者に対する暴力的な排除・追い出しが横行しております。そして、そのような横暴と闘い、それを阻止しようとする闘いが排除・追い出しとの闘いです。三里塚でも同様に、成田空港という軍事空港の建設に伴い、国家権力は農民から暴力的に土地を取り上げました。そして、そのような横暴と闘い、成田空港運用後も、空港内に農地を守り抜いたのが三里塚闘争です。このような闘争はどちらも、僕たち民衆の生存権や住居権といったごくごく当たり前の権利を守る闘いでもあると思います。
 もし、このような闘いが後退してしまえば、国家権力や大資本の暴走は激化し、ますますわれわれ民衆の人権が無視された社会となって一気に改憲・戦争へ突き進むでしょう。改憲・戦争を阻止するために三里塚闘争は絶対にやめてはいけないですし、国家権力や行政権力と闘うその他の闘争とも団結・連帯しながら絶対に勝利しないといけない闘争だと思いました。その上で、僕自身もできるだけ、この闘争に貢献していきたいと思いました。

農ファーム、農ライフ
 首都圏学生 如月 萌

 成田にある航空科学博物館の中には空港周辺の土地の様子がジオラマで展示されており、滑走路らしきものの近くには、故意に潰されたような建物の模型があった。当時は「潰れた建物まで作るなんて手が込んでいるなぁ」と思っただけだが、今思えば、あれはなんの建物でなぜ潰されたのか? ちなみに、お土産コーナーでは〝マルキ〟の車のおもちゃが『成田空港の周りによく停まっている車だよ!』の謳い文句で売られていた。
 1月9日、三里塚芝山連合空港反対同盟の団結旗開きに初めて参加した。デモ行進が一段落したところで、各々の発言。それらがキリよく終わると、お手製の豚汁が振る舞われる。食い意地が張っていた私は一番多そうな一杯を選ぼうとそれらしきものを手に取るも、中身はほとんどネギと白菜。選ばれたのは豚汁ではなくネギ汁だった。目先の利益(とん汁の見かけの量)にとらわれ内実(具材の充実さ)をしっかり見ない、これでは資本主義の延命と新自由主義政策を強化し、SDGsなどと言いながら(これも所詮欺瞞〔ぎまん〕だが)地球環境や労働者階級の将来を微塵も考えない資本家たちと一緒である。これではいけない。だいたい、地球環境に一番悪いのは資本主義ではないか。そう思わせてくれたのが三里塚の豚汁であり、ではどうすればいいのか、どうするんだと教えてくれたのがこの団結旗開きだった。2022年も団結ガンバロー!

天神峰カフェの動と静
 ちば合同労組 玉置安治

(写真 太郎良陽一さんが奮闘)

 年末の天神峰カフェに久しぶりに参加しました。天神峰の市東さんの家屋を守るために実に多くの日常的な取り組みが行われていることと、現地では攻勢的に動いていることをつかみました。
 全国集会のデモではあまり気づかなかったのですが、市東さん宅の周りに様々な植物が植えられており、人の手で大事に手入れされていることがわかりました。
 小1時間ほど市東さん宅の落ち葉清掃の後、いよいよカフェがオープンしました。カフェのマスター・太郎良さんから全国集会と車の両輪として毎月の天神峰カフェを成功させること、敷地内にいつも多くの人が集っている状況を作り出す構想が出されて私は目の前の景色を見つめました。
 この日は年末ということもあり市東さんの作業場は静まり返っており、そびえる樫の木からは何か神秘的な空気が流れているようでした。三里塚闘争は実力闘争として「動」の部分が目につきがちですが、自然の空気を味わいながら営農を続けていく「静」の部分を感じることも大事です。冷たい風の中でしたが、作業をともにしてふるまわれたお汁粉の美味しかったこと。また参加のメンバーが口々に「来てよかった」と話していたことが印象深かったです。全国集会とは一味違う天神峰に軍手持参でぜひ集まりましょう。
(後記)半年くらい前ですが産直野菜のモロヘイヤは粘り気がすごくめちゃめちゃうまかったです。ごちそうさまでした。

もうけ主義が命奪う
 三里塚反戦ママ友 浦河佳純

(写真 反戦作家・鶴彬【つるあきら1909―38】)

 三里塚では先祖伝来の畑を大切にして、土を育むことに一生懸命になって、くわを振り下ろし、耕し続け、人の手をかけ、自然の猛威と闘いながら「ようやっと」の思いで大地を作りあげてきました。それを軍事空港を建設するために踏みつぶし、そこで働いてきた人たちの誇りも苦労も根絶やしにして、すべてコンクリートにしちゃうなんて、暴力ざたというか命の抹殺です。私たち大都会に住む者たちへ安全な野菜を供給するという公共性と、かけがえのない命の源がこの大地にあるというのに。
 昔から鉄道や空港の建設は戦争の遂行に必要だから(兵士や武器の輸送に効率的)という理由で、住民や畑を踏みつぶして実行されてしまいました。結局、「命なんかどうでもいい」という思想でガチガチにこり固まっています。
 人間は有史以来、もっと快適な生活をしようと努力を重ね、科学の進歩は「くらし」こそ第一優先だったはずなのに、なぜこんなことになってしまったのでしょう。私はやはり戦争や侵略、利権の奪取による「もうけ主義」の横行が原因だと思います。「人を殺す」ことで「人を苦しめてくらしにくくする」ことで、ほんのひとにぎりのお金持ちや大企業の社長がもうけていい思いをする。こんなの間違っていると思います。
 よく中核派は暴力による革命を目標にしている危険極まりない集団だと言う人がいます。でも最初に暴力をしかけてくるのはいつでも国や警察でしょ。それに対して抗おうとすれば弾圧。これじゃあ暴力で封じ込めよう、黙れ! と同じなんですよ。ですから、私は「国策」とやらで「公共性」を唱える論法、これすなわち暴力だし、言論の自由を許さないことなので人民の暴力を必ずしも否定しません。
 私の好きな俳人であり川柳作家の鶴彬の川柳を書きます。
・万歳とあげて行った手を大陸において来た
・手と足をもいだ丸太にしてかえし
・胎内の動き知るころ骨(コツ)がつき(妻が妊娠に気づくころ、戦死した夫の遺骨が届く)
 これが最後の句です。震えがきそうです。こんなことくり返してなるものか、と強く思います。
 世の中、効率重視ですが、私は時間をかけ、手間ひまかけ、命をはぐくみ、大地の恵みに感謝しながら耕作する人といっしょに歩いていきたいなと思っています。

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