8・6広島闘争に立つ 「菅は帰れ!核戦争許すな」

週刊『三里塚』02頁(1069号01面02)(2021/08/09)


8・6広島闘争に立つ
 「菅は帰れ!核戦争許すな」

(写真 「菅は帰れ!」原爆ドーム前から怒りのデモに立つ【8月6日】)

(写真 右翼の妨害をはねのけ早朝からドーム前で集会)


 被爆76周年8・5―8・6ヒロシマ闘争が意気高く打ち抜かれた。
 五輪最優先で医療崩壊を引き起こし、新たな核戦争と改憲に突き進む菅首相の来広は絶対に許せない! 全国から結集した怒りの声の前に大動揺した菅は平和記念式典でのあいさつで、「わが国は、核兵器の非人道性をどの国よりもよく理解する唯一の戦争被爆国であり、『核兵器のない世界』の実現に向けた努力を着実に積み重ねていくことが重要です」という核心部分を読み飛ばした。後で陳謝し修正したが紙がくっついていたと責任を事務方に転嫁。卑劣な醜態をさらした。
 この前段の闘いとして、被爆者をはじめとした反戦反核のヒロシマの思いを政治利用して五輪開催を正当化ようとしたIOC会長のバッハ来広に8・6ヒロシマ大行動実行委員会の仲間は徹底弾劾を突き付け、市民から圧倒的な支持と共感を呼んでいた。
 お好み焼き屋の若い店主との会話で実感した。
 「広島がバッハに来るなと弾劾したこともあって平和式典も大々的にはやりづらくなったのでは」「自分は五輪反対ではなかったが、今回五輪はアスリートのためではなく金のためだということと、この国の政府はどうしようもないということがよくわかった」「県民は8・6の日だけしか平和について考えないところがあるが、全国から核廃絶に向けて来てくれるのは頼もしい」
 「黒い雨」訴訟で内部被曝を真正面から認定させ画期的勝利を勝ち取る大きな力となったのがこうした市井の人々の「ヒロシマの心」の広さと深さだ。原告側の証人として参加した大瀧慈さん(広島大学名誉教授)の5日の講演では、ピカドンのピカは初期のガンマ線や中性子線。ドンは爆風で吹き上げられた放射性微粒子、エアロゾルと分け、後者の影響を考えれば、これまでなぞとされてきた問題も解決がつくと明らかにされた。
 5日の講演会で被爆者の堀江壮さん(伊方原発差止訴訟原告団長)は「原発も原爆も同じ」と喝破。父親は6日後に死亡、母親は20年後に乳ガンを切除、姉は40年後に大腸ガン全身転移......自身も今なお様々な病と闘いながら「核なき世界をヒロシマから」と訴える姿に心打たれた。
 同じく5日、青年学生集会が開かれた。処分・弾圧をはねのけ闘う労働運動・学生運動の力強い前進を感じた。五輪開会式粉砕闘争で示されたように若者の実力闘争こそが時代を動かすのだ。
 原爆投下後のあれだけの惨禍も原爆詩人の峠三吉や画家の丸木位里・俊夫妻、何よりも被爆労働者の非合法での実力闘争がなければ、なかったものとされていたかもしれない。「黙ったまま殺されたくない」「なかったことにされてたまるか」という思いは今の青年の心の叫びと同じだ。
 翌6日は早朝の原爆ドーム前での闘いに決起した。「厳粛かつ静謐な式典を」と書かれたプラカード掲げ、大音量のトラメガで「静かに祈れ」「天皇制粉砕は原爆と関係ない」などと言い張る右翼・ファシストに一㍉も譲ることなく声を上げ続けた。結果、菅は大失態。昼からの大行動のデモに右翼は一人も姿を見せなかった。他方、私たちは灼熱の太陽と同じくらい熱いデモを貫徹した。
(土屋栄作)

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