大地の響き 投稿コーナー

週刊『三里塚』02頁(1064号02面05)(2021/05/24)


大地の響き 投稿コーナー

新DVDに感動の涙
 東京 高村宏信

 新DVDを見た。大変良かった。涙、涙(悔し涙、感動の涙、怒りの涙が混じった)だった。
 こんなシーンがあった。あるパイロットが個人的にコックピットから映像を撮りながら、成田空港に降りた。普通は直線の誘導路が「への字」に。その先に、農家と畑が写っている。そして海外メディアが、「日本では成田国際空港のど真ん中に農家と畑がある!」と伝えた。「三里塚闘争」の大宣伝になったが、同時に市東さんの闘いに改めて心を打たれた。
 今年の4月1日以降、請求異議控訴審の不当判決はいつでも市東さんの農地(の一部)を強制執行できる状態で決戦情勢だが、「コロナ×大恐慌」情勢と三里塚闘争の力で阻止している。そもそも現在進行中の5つもの三里塚裁判の決着がついていないし、閑古鳥が鳴く成田空港に、市東さんの農地を取り上げる必要性が全くないのだ。
 そもそも、成田空港の中に市東さんの家と農地があるという言い方は、逆だ。
 100年間耕作を続けてきた市東さんの農地があるところに、反対を押し切って「寝耳に水」の形で成田に空港建設を閣議決定したのが、当時の佐藤栄作内閣(中曽根運輸相)だ。
 ビデオにも出てくる敷地内300戸、反対同盟2000戸、周辺住民数万戸の反対運動、ヘルメットをかぶった少年行動隊から老人行動隊の出現は目を見張る。
 特に、50年前、「強制代執行は今日は中止」とテレビで発表して、応援に来ていた部隊が解散した直後に、脱穀作業中の大木よねさんを襲い路上に放り出した暴挙は到底許せるものではない。
 また40年以上前になるが、岩山大鉄塔(高さ62㍍)には100人以上がたてこもれる部屋(上段と中段にある)を作った。私は当時現地にいて、たとえ自分の身がどうなろうと中段に必ずたてこもる(上段はちょっと怖い)と決意し何回も中段に上る練習をしていたが、秘密裏の裁判で、ある朝一人も上っていない状況で強制撤去、次の日に試験飛行(一番機が飛ぶ)の事態を見たときの悔しさは、今も忘れない。時間を戻すことはできないものかと考えた。
 五十有余年後の今、成田空港の地で、完全無農薬・有機野菜を続ける市東さん、萩原さんの闘いをDVDで見たとき、あらためて今の矛盾だらけの社会を根本から変え、三里塚闘争の勝利・空港廃港を必ずかちとる決意を深めました。

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