北総の空の下で 「不要不急」 奪われた日常生活
週刊『三里塚』02頁(1064号02面03)(2021/05/24)
北総の空の下で
「不要不急」
奪われた日常生活
早過ぎる梅雨入り予報に不安がよぎる5月中半。飯米の田植えが終わり、人参、空豆、ズッキーニの初出荷等心浮き立つ実りの季節を迎えたのですが...。
3度目の緊急事態宣言を出すもコロナ感染を抑えられず、「安全安心の五輪」を呪文のように繰り返す菅政権と民衆との溝は深まるばかりです。
不要不急の外出はするなと言われ続けて早1年半......札幌の母と妹に送る荷造りをしながら、いつになったら帰省できるのかとため息が出ます。まだ身近に感染者がおらず、農作業と産直事務を繰り返す66歳の日常は坦々と過ぎていきます。
しかし今この時にも仕事を奪われ、日常を奪われ、命さえ奪われる人が増え続けています。街頭に出る事、仲間が集うことは感染のリスクを伴いますが、〝生きさせろ〟の闘いは待ったなしです。
5月の三里塚裁判は延期になりました。コロナで需要が激減、温暖化の元凶でもある航空産業に展望はありません。農地取り上げのための裁判は不要不急の最たるものです。
緊急事態宣言下での図書館や美術館、公園の閉鎖はやむを得ないのでしょうか? 田舎で暮らす私たちやお金でそれなりの自由が買える一握りを除いて、感染リスクの少ない自宅以外の居場所の存在が切実性を増していると思います。人と人が親しく触れ合ったり、1人でホッと一息ついたりするささやかな時間がどれほど大切か、獄中や難民収容所の非人間性を肌身で感じる思いです。
北里一枝