団結街道
週刊『三里塚』02頁(1064号01面05)(2021/05/24)
団結街道
「一身二生」「人生二山」……戦前は、刻苦勉励、国威発揚の体現者として皇民教育に利用され、最近では高齢化社会における模範的生き方として称揚される伊能忠敬▼九十九里で生まれ、横芝光町で育ち、佐原で商人として大成。隠居後、50歳で19歳年下の江戸時代最大の天文暦学者・高橋至時に弟子入りし、念願だった学問の世界へ。「地球の大きさを知りたい。そのために子午線1度の長さを測りたい」願いを叶えるため地図を作るという名目で蝦夷地測量の許可を得る。地図の出来が認められ、55歳から71歳まで足掛け17年、計10次にわたって測量隊を統率し、全国を測量。没後3年、門弟らが日本初の実測による大日本沿海輿地全図を完成させた。ちょうど200年前のことだ▼どうやって作成したのか。地上測量では、梵天と呼ばれる目印の棒を立て直線距離と方位・角度を測定する「導線法」。それだけでは誤差が累積するため、遠望できる山を見つけては、山頂の方位角を測定する「交会法」で誤差を補正。さらに、夜間は酒宴を禁じて、天体観測。北極星だけでなく数多くの恒星の仰角を測り、緯度を算出した。測定した数値を平均し精度を上げた▼先日記念館で見たあまりにも細かい文字、器具。老眼にもならず、忠敬はさぞ健康だったに違いないと思っていたが、実は歯痛、痰咳、痔など様々な持病を抱えていたと知り、親近感がわいた。やはり「中高年の星」だ。