大地とともに 元全学連戦士が語る 78年横堀要塞決戦 「開港阻止」の一念で決起、鉄塔登り機動隊と白兵戦
週刊『三里塚』02頁(1050号02面01)(2020/10/26)
大地とともに
元全学連戦士が語る
78年横堀要塞決戦
「開港阻止」の一念で決起、鉄塔登り機動隊と白兵戦
(写真 横堀要塞を守る戦士に機動隊がガス銃で水平狙撃【78年3月27日】)
私は1954年に高知県で生まれました。両親は教育労働者で3人兄弟の一番下です。祖父母はみかん農家でした。だから「三里塚で援農するくらいならうちに帰って百姓やれ」なんてよく言われました。
三里塚闘争が巨大な闘いとして現在も闘われている根拠の一つに開港を実力で阻止したということがあります。それは管制塔占拠と同時に横堀要塞の闘いもあって反対同盟も含めてみんながんばってやったんです。
1977年11月25日、当時の福田赳夫内閣は翌年3月30日に成田を開港させると正式に宣言します。反対同盟は新年旗開きで、3・26全国集会を皮切りに4月2日までの8日間決戦で迎え撃つ方針を決定。戸村一作委員長は「反対同盟はこの総力戦に臨んで農民としての歴史的使命を果たすことをわが本懐とする。この戦いに利なければ、後の戦いも無きが同様」と全国に檄を発しました。
反対同盟自身が総力を挙げた闘いに入ります。77年12月6日に岩山鉄塔跡地に岩山要塞(後に岩山記念館と改名)の建設に着手します(翌年1月8日完成)。続いて、12月11日に芝山町菱田地区の横堀に横堀要塞の建設を開始し、3月20日に完成させました。
指先ひきちぎり
2月6〜7日に第一次横堀要塞戦がありました。反対同盟は高さ21㍍の横堀鉄塔を突如建て、開港攻撃への抵抗の意思を示します。権力は並行滑走路(のちのB滑走路)の陰も形もないのに鉄塔を「航空法違反」とでっち上げて破壊しに出てきました。6人の反対同盟と50人の支援部隊が決起します。40時間立てこもって抵抗し、三里塚の闘いをあらためて全国へと知らせました。3月24日には再び28㍍の鉄塔が建てられました。反対同盟から北原鉱治事務局長、秋葉哲さん、石井武さんの3人が、中核派としては学生だった私と現闘3人の計4人、全体で60人ほどが要塞に立てこもりました。3・26集会の直前のことです。
当時、私はどんな作戦か詳しく知らなかったのですが、鉄塔に登って抵抗しようと決意します。開港は絶対に許さないという一念でした。反対同盟とその他の支援はあらかじめ掘っていた地下のトンネルから脱出すると聞きました。
26日の午前0時から攻めてきて昼頃までドンパチやっていたのですが、管制塔を占拠したとのことで、双眼鏡で除くと旗がすぐ近くに見えたことを覚えています。その日は、機動隊は攻撃を止めて引き上げました。
翌日、機動隊は猛然と攻めてきました。クレーン車のアームを横に振り回して、こちらが立てていたポールを全部なぎ倒して、そこから機動隊がどどっと入ってきて、鉄塔での闘いになりました。ガス弾なんかをめちゃくちゃ撃たれて、体のあちこちに当たりました。水平撃ちで至近距離から狙ってくるんです。怖いとかはなかったけど、体の真ん中に当たらないように、鉄塔の柱で守ると。隠れるほどはないから。放水もあったのでとても寒かったことを覚えています。
その後、クレーンのアームに乗り登ってきた機動隊が、鉄パイプで殴りかかってきた。それが当たって右手の人差し指が切れたんです。指先がぶら下がっていました。怖気づいて、つながるようにとひるんではまずいと思って引きちぎって機動隊に投げつけました。(その後の治療は適当で、縫った糸が残っているぞとこっちが言って、医者もああ残っているなと、ブチっと取った)
鉄塔に登っていた3人と一緒に逮捕されました。初逮捕で殺人未遂をでっち上げられましたが、動揺することはなかったですね。1年半ほど勾留され、戸村委員長が亡くなって葬式をやるころに保釈されました。
人は変わるもの
それで三里塚に行ったら先に出ていた北原さんが迎えてくれました。一緒に捕まった現闘の人はとても面白い人でした。出て来た後はいろんな歓迎会に自分も連れて行ってもらって1カ月くらい現闘みたいな感じでいさせてくれました。裁判では殺人未遂を吹っ飛ばし、判決も執行猶予で、実刑をつけることを阻みました。最高裁まで裁判を闘い、三里塚の魂を胸に国鉄闘争に全力を傾け今に至ります。
私が横堀要塞戦を闘って一番実感したことは闘う中で人は変わるということです。何と言っても北原さんが変わったんです。最初は私たちとは少し距離があって、「お前らは今闘っているけど、反対同盟の裏切ったやつらをどう思っているんだ」と聞かれたりしました。今になって思うとその頃から考えていたんだと思います。集会に来た人たちをずっと最後まで見送るとかね。三里塚に行く度に北原さんの変わりようを私は目の当たりにしてきました。
三里塚と言えば裏切りの歴史と言われることもありますが、北原さんや太郎良陽一さんの変わりようを見るとそれは違うんです。私はそれを見て頭が下がるだけなんだけど。
(松田浩明)