「必ず三里塚を訪れたい」 大坂さんが獄中から檄 獄中通信より
「必ず三里塚を訪れたい」
大坂さんが獄中から檄
獄中通信より
8月29日、「大坂正明さん救援会」の結成集会が開かれ、152人が集まりました。大坂正明さん(北海道帯広市出身、当時千葉工業大学学生)は、1971年11月の「沖縄返還協定批准阻止」の渋谷デモを星野文昭さんらとともに闘い、「殺人罪」のデッチあげで指名手配されました。46年後の2017年6月に逮捕・起訴され、現在、東京拘置所に勾留されています。結成集会では、救援運動を全国に広げること、また、東京拘置所が大坂さんの鼻の手術・治療を直ちに行うよう求めて運動していくことが訴えられました。大坂さんは、70年闘争を闘ったすべての同志と同じく、三里塚闘争を全身全霊で担いぬきました。以下、大坂さんの獄中からの近況報告を獄中通信『団結と連帯』から転載します。
東市さんの思想性に感動
『週刊三里塚』第1041号に掲載された現闘員・岸本豊和さんの「語り」で紹介された市東東市さんのエピソードに大変感銘を受けました。
東市さんが、「『前進』にはこう書いてあるけどどうなんだ」と聞いた時、岸本さんは読んでなくて答えられなかったそうです。すると東市さんは「何をしに来ているのか」「明日から来るな」と胸倉をつかんで怒ったというものです。
東市さんが言いたいことは、援農とは中核派の思想・路線を実現するためにするのだということでしょう。なんと高い思想性かと感動を覚えました。東市さんは『前進』が届くと農作業をやめて全部読んだそうです。こうしたことは、東市さんが農民である以上に革命家として自己を転換・屹立させていたことを示す言動だと思います。
私は東市さんにお会いしたことはありませんが、最も印象に残っているのは、1980年代の集会で参加者に向かって「同志」と呼びかけていたことです。私たちが使っている意味で言っているのか、あるいはもっと広い意味で使っているのかと興味がわいたのです。今回このエピソードを読んで東市さんの「同志」という呼びかけは、私たちが使っている意味とほぼ同じだと分かりました。あらためて東市さんを身近に感じました。
もし私が東市さん宅に援農に入っていたら、私も叱りとばされていたことでしょう。私も学生時代に何度も援農に行きましたが、援農のための援農だったと思います。それを今になって指摘された思いです。岸本さんは実にすばらしい教えを受けました。現闘員ならではの経験です。うらやましい限りです。
息子の孝雄さんについても紹介があります。「東市さんの思い」「反骨精神の血」を孝雄さんが継いでいるということです。1042号で、沢野碧さんが孝雄さんについて「他人への細やかな気遣いができて、かつ闘いと自分の生き方への確信を強く持っている」と紹介しています。
現闘員たちは市東さんをはじめ反対同盟の方たちと共に闘うことにやりがいを感じ、充実した闘争生活を送っているようです。私もそこに合流したい思いです。市東さんの農地を守り抜け! と反対同盟、現闘員に心からエールを送ります。(6月28日付)
ヤグラでサイレン鳴らす
私は50年程前の学生時代に三里塚には何度も闘争や援農で入りました。その中でよく思い起こすことは、ヤグラの上でのことです。年月は正確には思い出せないのですが、1970年頃のはずです。この時期はまだまだ農地が広がり、徐々に土地収用が暴力的に進められている過程でした。私は現闘本部と直線的な団結街道でつながる十余三(とよみ)地区の農家に援農に入りました。その時、機動隊が隊列を組んで団結街道を南下してきたのです。機動隊は時おりパトロールをして、イヤガラセの検問・職質をするのです。私は機動隊を発見してただちにヤグラに一人で登り、サイレンを鳴らしました。当時、ヤグラが何か所か建てられており、機動隊などの動きがあればそれを知らせるためにサイレンを鳴らしたのです。
私が一人でサイレンを鳴らしていると、機動隊の部隊の中から4〜5人が近づいてきて、ヤグラを揺らしはじめました。ヤグラは丸太を組み立てているので、上の方は細くなり、よくしなります。さらにメトロノームのように上の方がより大きく振れることになります。下ではわずかの揺れでも上では大きくなります。その揺れは、ヤグラに登っている者にとっては落ちるのではないかと大変な恐怖になります。私は片手で丸太にしがみつき、もう一方の手でサイレンのハンドルを回しました。時々機動隊はヤグラを蹴飛ばすのですが、これが衝撃が大きくて、一瞬でヤグラの床が振れてしまうので落ちそうになります。その経験から50年程も過ぎたのですが、その時のビビッた気持ちを今でも思い出します。
しかし三里塚では楽しいことの方が多くありました。農作業全般が体を動かすことが好きな体育会系の私にとっては楽しいのですが、中でもスイカや栗の収穫は格別でした。どんな野菜でも収穫はうれしく楽しいのですが、スイカや栗は面白いというのがピッタリするかもしれません。
スイカの場合は、畑で一列に並んで、投げ渡して順送りします。投げ渡す距離はスイカを取り上げた地点とトラックまでの距離と人数によって変化していきます。数メートル離れて放るので時々落として割ってしまいます。それを休憩の時に食べるのですが、冷えていなくても作業中なのですごくおいしいものです。
三里塚は私にとって身近な所なので、思い出は尽きません。私が解放された時には必ず三里塚を訪れたいと思います。その時は星野さんの碑に勝利の報告をしたいと思います。(7月26日付)