団結街道

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週刊『三里塚』02頁(1045号01面05)(2020/08/10)


団結街道


 丸木位里・俊夫妻の『原爆の図』展(複製画)が成田市内であった▼占領・検閲下の1950年に発表された当時のタイトルは「8月6日」。前年にソ連が原爆を開発し、核開発競争が激化する中、朝鮮戦争が勃発。第3の原爆使用も検討されていた。同時代の社会への危機感から滅びかねない未来への抵抗の絵画『原爆の図』が生まれた▼第一部「幽霊」。描かれているのはきのこ雲やドームなどの風景や建物ではなく人間群像。背景はない。焼け焦げた裸の人間のみ。丸木夫妻は妊婦を最初に描いたそうだ。命を生み出そうとする女性と生まれてくるはずだった命への強い思い込められている。絵の高さは1㍍80㌢。等身大に描かれた人物が迫ってくる▼第二部「火」。長崎のカメラマンから非合法で入手した写真を下敷きに燃える赤ちゃんが描かれた。第三部「水」。死体の山と川の中で息絶える絶望の母子像。丸木夫妻は「占領目的阻害行為処罰令」に抗し、この初期三部作を背負って非合法的に全国各地を回り原爆の惨禍を伝えた。広島では峠三吉ら詩人グループが協力した。10年がかりの世界巡回展でも大きな反響を呼んだ▼3・11以降、若い芸術家が丸木美術館を訪れるようになったそうだ。核を必要とする資本主義を打倒し、人間が人間らしく生きられる社会を勝ち取るまで、命の問題にこだわり世界を見続けた丸木夫妻の絵画は何度でも甦り、私たちを奮い立たせる。

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