星の木の下に眠る星野文昭さんと共に市東さんの農地守りぬく
星の木の下に眠る星野文昭さんと共に市東さんの農地守りぬく
天神峰カフェ
天神峰畑に慰霊碑建立
機能強化=第3滑走路白紙撤回へ
4月26日、成田市天神峰の三里塚芝山連合空港反対同盟・市東孝雄さん宅中庭で恒例の「天神峰カフェ」が開かれた。同時に、星野文昭さんを慰霊するモニュメントの建立が参加者の手で行われた。安倍は5月3日、月末までの緊急事態宣言の延長を決めると同時に、改憲集会にメッセージを寄せ、「必ずや成し遂げる。決意に揺らぎはない」と述べた。断じて許すことはできない。星野さんらが命がけで闘い、改憲を阻止し続けてきた「反戦・反権力の砦」=三里塚闘争の新たな発展を勝ちとろう。空港機能強化=第3滑走路建設を粉砕しよう!
成田空港B滑走路の閉鎖によって航空機の騒音が消え、穏やかな晴天に恵まれたこの日、正午前からコーヒーを手に歓談した上、星野暁子さんが最初にあいさつをした。
「文昭の獄死について、徳島刑務所、東日本成人矯正医療センターの責任を追及する国家賠償請求訴訟を提起しました。6月22日、1回目の裁判にぜひご参集ください。新コロナ情勢のもとで、安倍政権は資本は手厚く保護し、労働者民衆には『マスク2枚』に示されるように何ら責任をとろうとしない。休業を要求しながら補償しようとしない。検査を十分やらず正確な感染者もつかめない中で、収束に向かうはずがありません。この安倍が文昭を殺したと私は思っています。私は『自分が星野文昭になる』と言いました。それは労働者民衆と共に、労働者民衆のためにあり続けるということです。みんなで星野文昭になりましょう。そして市東さんとともに農地を守り、星の木を守っていきましょう」
ここで、市東さんがこの場に立ち寄り、暁子さんを激励し、午後の農作業に向かった。
各地からの参加者が星野さんへの思いを込めてそれぞれあいさつした。東京・杉並区の仲間は、例年通り開いていた星野絵画展が区当局からの一方的な通知で中止させられたことを、怒りを込めて報告した。
三里塚反対同盟決戦本部長の太郎良陽一さんは、「コロナ情勢下で全国集会も中止になり苦しい状況を強いられているが、市東さんの農地を取り上げようとする敵の攻撃は変わっていない。絶対に守り抜き、世の中を変えましょう」とアピールした。
さらに動労千葉の繁沢敬一副委員長が「動労千葉は星野さんが闘った70年安保闘争―三里塚・沖縄があったから今も闘える」とあいさつ。反対同盟事務局の伊藤信晴さん、婦人行動隊の宮本麻子さん、古参の三里塚現闘の同志が闘いの報告と決意を述べた。
その後、参加者は文昭さんが分骨された畑の一角の「星の木」(こぶしの木)のもとに移動。金属のプレートと木製の枠で頑丈に作られたその碑は、すでに2本の脚を天神峰の土に深く差して建てられていた。カバーが取り外され、銀色のプレートに黒く刻まれた文字が現れた。「星野文昭ここに眠る/『すべての人間が人間らしく生きられる社会を』/1971年7月 三里塚闘争仮処分闘争を闘う/1971年9月 三里塚第二次強制代執行阻止闘争を闘う/1946〜2019」
暁子さんをはじめ、一人ひとりが思いを込めて2本の脚のもとに白い小石を置き、献花し、線香を上げ、手を合わせた。
星野文昭同志は、1971年11・14渋谷闘争にデモのリーダーとして決起し、殺人罪でっち上げで無期懲役刑を下され、無実を訴えて不屈の獄中闘争を44年貫いた。不自由な監獄においても常に全世界の人間解放へ向けた闘いに思いを馳せ、獄中結婚した妻・暁子さんへの愛情を注ぎ、徳島刑務所内でも周囲の受刑者への思いやりを忘れず多くの人に慕われていた。一同は、星野さんを生きて取り戻すことができなかった悔しさをあらためてかみしめ、その遺志を継ぐ決意を新たにした。
最後に再び暁子さんが、「(碑を建てて)普通ならこれで終わりということですが、これからが闘いです」と述べ、国賠闘争の勝利へ向けて奮起を促した。
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