田村NAA新社長を徹底弾劾する 第3滑走路建設計画の張本人

週刊『三里塚』02頁(1020号01面03)(2019/07/22)


田村NAA新社長を徹底弾劾する
 第3滑走路建設計画の張本人

(写真 左から夏目誠NAA相談役、森田健作千葉県知事、田村明比古NAA新社長)

 6月25日、NAA本社で田村明比古新社長が就任記者会見を行った。田村は、最優先課題として第3滑走路の建設をあげ、完成目標について「2020年代半ばまでに、という方針に向けて頑張っていきたい」と発言した。これまで第3滑走路完成時期の正式決定はなされておらず、その目標を20年代後半としてきた。田村は、これを繰り上げすることに言及した。まさにNAAの最優先課題として第3滑走路が据えられたのだ。
 NAAは民間出身の社長が2代続いており、官僚OBの起用は12年ぶりとなる。国交省出身の田村は、「成田空港のさらなる機能強化」は自分が航空局長時代に主導したと得意になり、「私が始めたものを、結果として出さなければならない立場になった」と気負っている。まさに田村こそ、第3滑走路を計画した極悪の張本人だ。絶対に許してはならない。

国交省エリート

 田村は東京都出身で、1980年運輸省入省。すぐにキャリア組としてコーネル大学経営学大学院修了、85年経営管理学修士号(MBA)取得。帰国後は、大臣官房企画官など国交省のエリートコースを歴任し、12年9月航空局長に着任。15年9月11日より観光庁長官。18年7月退任し、国土交通省参与、19年1月より三井住友銀行顧問となっていた。
 田村が「私が始めたものを、結果として出さなければならない」と言っているのは、次のことである。
 国土交通省航空局長だった12〜15年に、田村は「首都圏空港のさらなる機能強化」案をまとめた。もともと交通政策審議会の航空分科会内の小委員会の検討案件でしかなかったものを、安倍の「日本再興計画」の一角として正式決定にまで推し上げたのだ。
 14年に国交省は、相川勝重芝山町長をはじめとした地元空港推進派が第3滑走路をキャンペーンし始めたのを利用し、7月に小委員会の「中間取りまとめ」を公表した。業界紙の取材に田村は、「少しでも空港容量を増やせる手段を探している」「あらゆる選択肢をテーブルの上に並べ、どういう対応が可能かを見極め…20年までにできるものは何なのか、また、そこから先も見据えてやるべきものは何なのか、いろいろな可能性について検討してみたい」(『JATAコミュニケーション』2014年4月号、一般社団法人日本旅行業協会)と述べている。

4者協議を提案

 田村は、翌年8月内にも4者協議(国、千葉県、地元の市町、NAA)を開催し、空港機能強化案を正式決定に持ち込んだ。そのために田村は航空局長として7月31日の自民党の成田国際空港推進議員連盟(二階俊博会長)の会合に出席し、この4者協議の開催を提案し了承させた。二階会長は翌月3日、太田国交相に推進決議を提出するとともに、「新滑走路計画の早期事業化と、これまでの通例10年程度かかる滑走路建設の事業期間の短縮が必要」とキャンペーンした。また、同議連の決議は、騒音対策のため午後11時から翌朝6時まで航空機の離着陸を原則禁止している規制の緩和も求めた。この要望を受けて太田昭宏国交相(当時)は、新滑走路の建設具体化に向けた計画作りを表明した。このようにして「首都圏空港機能強化技術検討小委員会の中間とりまとめ」が国交省の正式決定となり、第3滑走路計画が動き出すのである

機能強化阻止を

 以上のように、田村は、航空局長を3年間務めた任期中に首都圏空港機能強化策を検討し、第3滑走路建設構想の指揮をとったのである。その田村が新社長となり計画の前倒し宣言を発した。徹底弾劾し、事業計画決定を阻止する新たな闘いに決起しよう。
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