改憲・戦争阻止、4月杉並区議選へ ほらぐちともこさん必勝を 「若者の声を杉並から」 インタビュー 立候補への思いを語る

週刊『三里塚』02頁(1012号01面01)(2019/03/25)


改憲・戦争阻止、4月杉並区議選へ
 ほらぐちともこさん必勝を
 「若者の声を杉並から」
 インタビュー 立候補への思いを語る



(写真 西荻窪事務所の前で三里塚の産直野菜を手に【17日】)

(写真 2003年イラク反戦デモに自分の意志で初参加)


洞口朋子 プロフィール
1988年 11月宮城県仙台市生まれ。
2003年 3月イラク戦争開戦に対し、中学2年生で反戦デモに立つ。
2008年 法政大学入学。全学連として反戦運動や学生自治活動を行い、2010年に「無期停学」処分。
2015年 安倍政権の安保・戦争法に反対し、国会前で闘う。
2017年6月以来、YouTube「前進チャンネル」メインキャスター。
☆ツイッター @HoraguchiTomoko
☆ホームページ https://horaguchitomoko.jp/

 三里塚芝山連合空港反対同盟の呼びかける3・31全国集会(成田市赤坂公園)に集まろう。杉並区議会議員選挙(4月14日告示―21日投票)が目前に迫っている。昨年の10・14三里塚全国集会で、ほらぐちともこさん(30歳)は杉並区議選への立候補を表明し、「戦争と改憲を労働者民衆の力でとめたい。三里塚反対同盟の不屈・非妥協の闘いを断固引き継ぎ、杉並から革命を起こすために闘い抜きます」と力強く宣言した。反対同盟は3月13日、ほらぐちさんの推薦を決定し共に闘う決意を表明している。3月17日、「都政を革新する会」の西荻窪事務所で、区議選勝利に向け全力で闘うほらぐちさんに決意を伺った。(聞き手・土屋栄作)

イラク戦争反対でデモ参加

 ----なぜ選挙への立候補を決意したのですか。
 今、沖縄・辺野古新基地建設反対や三里塚の市東さん農地取り上げ強制執行との闘いが激しく繰り広げられています。私はこうした国策との闘いと一体で、若者・女性が政治に声を上げられる社会を作りたいと思っています。
 杉並では「都政を革新する会」の長谷川英憲さん、北島邦彦さんの50年以上の闘いの歴史があります。また、原水爆禁止運動発祥の地でもあり、高円寺北再開発を止めた住民の闘いの歴史もあります。そのような杉並の地で「新しい労働者の政党」を作りたいと思い立候補表明しました。
 ----どんなことを訴えていきたいですか。
 大激動の政治情勢に入る中、日本共産党などが賛成する天皇代替わり儀式や、原発事故をなかったものとして呼び込んだ東京オリンピックに絶対反対の声を上げていきたいです。
 とりわけ憲法9条に手を付けようと、安倍政権は統一地方選挙自体も改憲を大きな柱にすえてやると公言しています。その中で私は、「労働者の団結を作り、改憲・戦争への道を止めよう」と真っ向から掲げて闘っていきます。そのためにも「改憲・戦争阻止!大行進」運動を首都東京の杉並区を拠点につくることが重要です。
 「大行進」運動は、政治家や既成の野党にお願いするのではなく、労働者民衆自身が運動の中心を担っていく運動です。労働組合を軸に、さまざまな闘いの現場、過労死家族の方たちや築地市場の豊洲移転反対の闘い、沖縄辺野古基地建設と闘う人など、あらゆる人たちとつながれる運動として「改憲・戦争阻止!大行進」を全国的にもっと発展させたいと思います。
 私は、「社会を変えたい」といろいろな活動をしている人たちとつながりたい。それと同時に、ある意味ではそれ以上に、選挙に行くことすらできないほどブラック企業でボロボロになるまで働いている人たちや今のなれあいの政治に絶望している人たちとこそ話したい、つながっていきたいと思っています。
 ----戦争反対の原点について教えてください。
 2003年、中学2年生の時にアメリカのブッシュ政権は、イラクが大量破壊兵器を持っていると言って戦争を始めました。その時私は「アメリカは核保有国であり最大の軍事国家なのになんて理不尽な戦争を始めるんだ」と思いました。「戦争を止めるために何かしたい」と思い、地元仙台のデモに参加しました。自分の考えを行動で示すことにはすごく解放感がありました。

「社会の根本変える」に反響

 ----街頭宣伝での区民の反応はどうですか。
 今回の杉並区議選は約75人が立候補予定で、女性予定候補の数も過去最高と言われる大激戦区です。すでに多くの立候補予定者が街頭宣伝を行っています。私は「無名の新人」という厳しいところから出発したのですが、「長谷川さん、北島さんの次の3代目がほらぐちさんね」と言われるなど、全国の仲間の力も借りながら少しずつ知名度を上げてきています。
 街頭の反応で多いのが「若者、女性にがんばってほしい」という声です。田中区長は、民営化・非正規職化を進め、大企業の利益のために大規模な阿佐ケ谷再開発計画を進めています。そういう区政のあり方に対して住民の怒りはうずまき、自転車で通りかかった方からカンパをいただくなど、私たちへの期待をすごく感じています。
 先日、赤ちゃんを抱っこした30代の男性がずっと聞いてくれて、「法律で規制するというのでなく社会を根本から変えるというあなたの言葉にすごく共感する」と話しかけてくれました。また私がキャスターを務める「前進チャンネル」を見た高校生や大学生が、自分は杉並区民ではないけどぜひ議員になってほしいと会いに来てくれ、ボランティア・スタッフになってくれた人もいます。

国策と闘う三里塚に学んで

 ----三里塚闘争との出会いについて教えてください。
 私の母は三里塚の集会には必ず参加していました。私は抱っこひもで結ばれ背負われていたのですが、検問で機動隊が私のリュックを見ようとしました。そしたら母親たちが「ふざけるな!」と激しく怒ったことをすごく鮮明に覚えています。5歳頃の話ですが、私は機動隊員よりも怒った母親の方が怖くて、夜泣きしました。それが三里塚と出会った最初の記憶です。幼い頃から機動隊とデモ隊が激突しているのを見て育ったことは、私が今杉並区議選を闘う土台になっていると思います。国策・国家権力と非和解で闘うという視点は三里塚から学んだことです。
 そのことは法政大学に入学し、大学当局・国家権力と対峙する中ではじめて自分の実感としてつかみました。「非和解の闘い」と言葉でいうのは簡単ですが、処分や逮捕という大学当局や公安警察との激しい闘いの中で、実際はそんなに簡単なことではありません。仲間との信頼関係や自分の決意が問われ続けてきました。
 三里塚闘争が半世紀以上闘われ、「国家権力と闘って勝てる」という展望を示してくれていることは本当に大きい。三里塚は、新たな常識・新たな未来を切り開いている最先端の攻防です。
 農作業をしているすぐそばでジェット機が飛ばされたり、警察の不当な監視の中でも不屈に農業を続ける市東さんの闘いとこれからも連帯したいと思います。
 ----援農にも何回も来られています。
 援農に入るまで農業とはあまり縁のない生活を送っていましたが、一日中土を触り、野菜と接して心がきれいになったからか、「いい表情をしているね」と市東さんに言われたことがあります。
 また、トマトの苗木を結ぶ手伝いをさせてもらったのですが難しく、野菜を育てることは大変な仕事だと実感しました。
 ----反対同盟婦人行動隊のみなさんは、ほらぐちさんの挑戦をとても喜んでいます。
 女性の仲間からの激励は本当にうれしいし、ぜひ一緒に闘っていきたいと思います。30代〜40代の男性も立ち止まって聞いてくれるようになってすごくうれしいんですが、一番政治が奪われている若い女性にまだまだ届いていないとも感じています。そこをこれからひっくり返して何としても勝利したいと思います。
 ----今日はありがとうございました。

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