大地の響き 投稿コーナー
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三里塚で学んだこと
いわき合同ユニオン 小田紀之
私は普段工場で働きながらいわき合同ユニオンで労働運動をしています。集会には何度か行きましたが、援農はまだで仲間からの勧めがあってもなかなか行けずにいました。職場でのいじめなどで心身を壊し転職することを機会に、4日間現地に滞在しました。
私は農作業の経験はありません。種は小さくて高価なため、こぼさずに一穴3粒を正確にまくのが難しく、先輩方が素早くまくのを見て、もっと経験を積みたいと思いました。農業の仕事は収穫の時まで影響します。生産目標に追い立てられる工場で奪われていた仕事に対する真心を取り戻した気がします。大根の収穫では一つ一つの野菜が生きているため、自分の子どものように愛おしいとさえ感じました。
私が農作業をすることができたのは事前に計画を立て、何十㍍もある穴あきシートを張るなど数多くの仕事をしてくれた人がいたからでした。お世話になった宿舎でも、日々の掃除や炊事などの労働によって成り立っていることが実感でき、率先してみんなの役に立つことがしたいと思えるようになりました。
また、援農でまとまった期間滞在すると飛行機の騒音がいかに酷いものかを体感しました。飛行機の轟音が心臓に響くのです。ダイオキシンを上回る健康被害だということが納得できました。
青年の希望の砦
最終日、全学連現地行動隊の今井治郎さんが現地を案内して下さいました。農地を避けるために3本も誘導路がグニャグニャと造られ、3本目は2002年のB滑走路の供用開始から8年近く経っての完成です。団結街道をつぶして営農妨害をすることが目的だといっても過言ではありません。200億円もかかっているそうです。
東峰神社があり、航空法のため航路に高い木が生えていると飛行機が飛べないため、滑走路は2㌔以上にわたって2㍍もかさ上げして造られています。笹子トンネルの崩壊や被災地救援などを置き去りにしても、「国策」なら無尽蔵にカネを出す。そういった政府や資本主義社会の正体を見た気がしました。集会の発言や『週刊三里塚』の文章を肌で感じることができました。
第3滑走路の建設予定地や騒音直下の部落も回りました。荒れ地や山林が広がっている当初のイメージとは異なり住宅や農家が集中し、住民手作りの看板(写真)が数多くみられ、住民の怒りの深さを知りました。
その後の駅前街宣でも、予定地に住む主婦の人が声をかけてきて「第3滑走路建設でしょ? 本当にひどいよね。若い人が頑張って」と励ましてくださいました。
街宣では学生・青年には「三里塚を知っていますか?」労働者には「軍事空港建設に反対しましょう」年配の方には「三里塚はまだ闘っています」など世代にあった言葉かけをしてビラをまきました。用意したビラはほとんどなくなるくらいの大盛況でした。
代わる代わるマイクを取って、市東さんの農地を奪うことの悪らつさや軍事転用を仲間が弾劾し、私は「パワハラで悩む青年こそ三里塚で援農を」と訴えました。
三里塚がもつ優しさや強さは、100年前の開拓農民の魂が戦争や激しい闘争の困難に負けずに団結を貫いてきたから今に伝わっています。この場所を絶対に失くしてはいけない。劣悪な労働条件に耐える青年労働者にとって50年を超えて闘い、安全な野菜を作る三里塚は希望の砦です。今回の訪問でその確信をさらに深めました。
福島に三里塚を
福島県伊達市で小学生の親御さんたちが、子どもが遊ぶ裏山に除染廃棄物の仮置き場を作る計画撤回の運動を始めています。
福島で小児甲状腺ガンが多発しています。内部被ばくの恐れも高いです。福島だけでなく千葉や静岡でも汚染が問題になっています。
全国農民会議の仲間が、いわき市、本宮市などで農業をしています。
野菜を作らないと農家は生活できないことに付け込んで政府は「福島の農産物は安全・美味しいキャンペーン」に多額の予算をつぎ込み農家の怒りを圧殺しようとしています。
三里塚のように労働運動としっかり結びついた闘いの陣形を早急に作るべきだと思います。汚染水の海洋放出問題や帰還強制、原発労働者の命の問題は差し迫っており、農民・漁民、主婦、高齢者など地域丸ごと獲得することが必要だからです。郡山で行われる3・11反原発福島行動への参加を呼びかけます。そして、私のような昔の三里塚を知らなかった若者こそ現地を訪れてほしいと思います。