西日本豪雨災害 農業破壊の縮図ここに 倉敷市真備町からの報告 国は河川管理を放置し続けてきた 市町村合併で職員削減し被害拡大
西日本豪雨災害
農業破壊の縮図ここに
倉敷市真備町からの報告
国は河川管理を放置し続けてきた
市町村合併で職員削減し被害拡大
西日本豪雨から1カ月、町の27%、平地部分のほとんどが浸水し、全壊した住宅が2000戸以上の岡山県倉敷市真備町。ここに住む全国農民会議の会員で、自治労倉敷の副委員長でもある百本敏昭さんは、8・6ヒロシマ大行動において「災害は新自由主義の結果。団結し社会を根本的に変革する先頭に立つ」と発言した。
百本さんの被害
百本さんは田んぼを1町2反耕作している兼業農家で、今年から定年後の再雇用として市役所で月10万円ほどの賃金で働いている。当日は仕事を終えて家にいたところ、避難所のスポーツ公園に車が集まり渋滞していると、ボランティアで呼び出された。深夜3時半になってやっと渋滞が解消され、家に戻ると水があふれていた。保冷庫にあったコメ20俵を2階に移し、子ら3人と車を高台に移動して家に戻ってみると、一気に水かさが増してきた。近所の人たち9人を2階にあげ、2階に避難していた。百本さんの自宅は床上1・8㍍以上の浸水。2週間、隣町の親戚の家に避難し、現在は自宅2階で生活を続けている。
7月7日まで約3日間激しい雨が降り続いた。真備町を流れる小田川は、広島県東部を流れる芦田川から岡山県西部を流れる高梁(たかはし)川に水を流す目的でつくられた人工河川だ。勾配が緩く、何度も堤防が決壊した歴史がある。今回も小田川や支流の堤防が決壊し、濁流が流れ込んだ。最大で5・4㍍、2階以上の高さだ。亡くなった51人の9割が高齢者で、1階部分で亡くなっている。
今回の災害は100%国の責任だ。
高梁川は小田川との合流点で、山を挟んで2本に分かれていた。明治期の河川改修で、その真備町側の部分をせき止め三日月湖として干拓事業を行った。戦後は、三日月湖の部分をさらにダム化する大規模工事が計画されたが、反対運動で阻止された。この三日月湖を通して再び小田川を高梁川の下流部分に接続する工事をこの秋からやっと始める予定だった。河川管理の国から県への移行が行われ、予算や人員が減らされ、決壊した小田川の支流にいたっては20年以上、堤防の高さの把握や管理状況など一切が放置されてきた。
最大の問題は、地方切り捨ての市町村合併、自治体の民営化で対応ができないことだ。真備町は倉敷市に合併され、役場の職員は激減した。担当の産業課と建設課の職員は12人ずつ(うち正規職は9人のみ)、当日集まったのは3人ずつの6人にすぎない。浸水により役場の機能がすべてなくなる中、職員が濁流の中を逃げてくる周辺住民を助けて3階にひっぱりあげるような状況だった。災害対策や対応をおざなりにして、合理化が進められたことが被害を拡大した。
岡山と中四国地方の仲間は、水が引き始めた8日に百本さん宅に行き、翌日から1階部分の片付けに入った。作業は、泥水に浸かったすべての荷物を捨てて、くずれた土壁をとりのぞき、床をはがし、床下の泥を取り、水洗いして消毒する。1カ月たった今も、作業が続いている。
農業は全滅状態
農業的には今年は全滅状態だ。農機具はすべて水没。最近の農機具はコンピュータとセンサーで構成されていて、エンジンがかかったとしても正常には動かない。昨年買ったトラクターなど多大な被害だ。真備町の平地のぶどうハウスは完全に浸水した。
日本の農家の総数は約200万戸、約40万戸が専業農家で、160万戸が兼業農家(うち販売農家と自給的農家が半分ずつ)。「農家は補助金で甘やかされている」などとキャンペーンされているが、小規模兼業農家には一切補助金はない。
逆に、労働者として働いた賃金をつぎ込んで、農機具を買いそろえ農業を続けている。労働力供給・調整源となってきた農業・農村が、非正規職化で完全に破綻している。被災地の現場は、農家が高齢化し、「選択と集中」によって農村が破壊されている各地の状況と同じだ。
自治労倉敷(旧真備町職員組合)の仲間に人的な被害こそなかったが、現在60人あまりの組合員のうち、18人の自宅または実家が全壊している。被災した職員はいまも職務専念義務免除となっているが、被災していない職員は、12時間交代で土日関係なく避難所対応や罹災証明などにあたっている。労組・地域拠点に対する被害をうちやぶり、団結を強化して戦争・改憲を阻止していく決意です。
全国農民会議・岡山 内藤大一
(全国農民会議機関誌『ゆい』から転載)
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