大地の響き 投稿コーナー
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韓国・済州島を訪問
反戦被爆者の会 中島 健
4月1日、成田市で三里塚集会に参加した翌日から3日間の日程で韓国済州島を訪問した。
1948年4月3日、国連に名を借りたアメリカ帝国主義による南朝鮮単独選挙の強行に労働者と農民が決起して、「単独選挙反対! 南北分断阻止!」を訴えた。アメリカは韓国軍警と右翼(西北青年会)を総動員して蜂起を鎮圧した。殺戮されたもの6万人、さらに無数の人々が難を逃れ大阪などに逃れた。1950年の朝鮮戦争と南北分断へのレールが敷かれたのだ。
今年はそれから70年に当たる。島では、民間人の虐殺に対する米国政府の責任を公式謝罪せよという署名運動と集会とデモが行われた。トランプによる北朝鮮核戦争の切迫の中で、4・3「蜂起精神」を継承して、労働者民衆の決起で朝鮮半島南北を統一する闘いに進もうと、民主労総は3月31日に済州島で開かれた労働者大会で呼びかけていた。
今回、済州島訪問の前に萩原富夫さんのお宅を訪問した。済州島第2空港反対を闘う、カンウォンボさんと親しいと聞いていたからだ。カンさんも縁のある民主労総・済州地区本部を訪ねる予定だと話すと、土産にと「落花生」を持たせてくれた(写真)。
済州地域本部でそれを渡した。カンさんが三里塚反対同盟を訪問し交流していることを地域本部の方も知っていた。市東さんの土地取り上げ阻止を闘う反対同盟と済州島第2空港反対の闘いは本質的に同じ闘いだ。
第2空港反対の声も済州島民の間で理解と支援が広がりつつある。済州島は日本帝国主義がかつての戦争で崩壊寸前の時に「不沈空母」と位置付けて、本土(日本)防衛の要とされた島だからだ。島中に天皇軍が住民をこき使って掘らせた穴がある。済州島民は、第2空港が必ず米軍基地として使われることを知っている。三里塚と済州の農民の闘いは、農民の土地と生活を守る闘いであり、反戦の闘いなのだ。
6・3で星野奪還を
元三里塚現闘 岸上雅博
4月1日に成田市栗山公園で開催された三里塚全国集会に参加した。
栗山公園は、ちょうど50年前の3月、成田市役所に設置された空港公団分室への実力の激闘があった場所だ。15年3月にこの場で集会が開催され、北原鉱治事務局長が「国は、農民から農地を奪おうとしている。これを国家暴力と言わずして何と言うのか。反対同盟は戦争反対で闘う」とあいさつされたことは今でも記憶に生々しい。
昨年亡くなった北原さんの息子さんにあたる反対同盟・北原健一さんが4・1集会で最後に登壇し、「三里塚闘争は動労千葉と全学連が今も反対同盟と共闘し続けているすばらしい闘い」と訴えた。その通りと感動した。
集会では、当時反対同盟委員長だった戸村一作さんの甥(おい)にあたる戸村裕実さんが、一作さんが頭を割られる重症を負い、闘争はここ成田市役所前の激闘から「絶対反対」へと転換したことを見事に紹介した。星野再審連絡会議共同代表である戸村さんは、高松で開かれる6・3星野文昭さん解放全国集会への参加を呼びかけた。
私は、星野さんと71年当時、長原公民館で一緒に宿泊し、代執行阻止闘争を共に闘いぬいた。07年、北原事務局長と一緒に徳島刑務所で面会し、北原さんが「出たら三里塚現地に来てほしい」との呼びかけに「必ず三里塚に行きます」と応えた声を生で聞いた。星野さん奪還に向けて、6・3高松集会に私も参加します。必ず奪還して、共に市東さんの農地強奪を阻止しよう!
私は今、東京で三里塚の無農薬有機野菜を届ける運動を拡大する取り組みを行なっている。産直野菜を食べよう。