空港完成阻む天神峰農地 攻防の焦点

週刊『三里塚』02頁(0990号01面02)(2018/04/23)


空港完成阻む天神峰農地
 攻防の焦点




 現在の攻防の焦点であるB滑走路南側の地図(左)をご覧下さい。滑走路の南側には東峰部落が存在し、人家や畑、神社、墓地が南側への延伸を阻んでいます。また、滑走路の東側には開拓組合道路があり、西側には反対同盟員で専業農家の市東孝雄さんの家と畑が存在しているため誘導路は「へ」の字に曲がっています。現在の三里塚闘争の最大の焦点は、この「へ」の字誘導路の直線化をめぐる市東さんの農地取り上げとの攻防です。
 成田空港会社(NAA)は直近に家と畑があり、滑走路は短く、誘導路が曲がることを百も承知で「支障はない」と02年にB滑走路の供用を開始しました。しかし、翌年「効率が悪い」「見栄えが悪い」と市東さんに明け渡しを求めてきたのです。天神峰と南台農地を合わせると1・3㌶もの広大な農地であり、営農に不可欠な育苗ハウスや作業場、トラクター置き場も含まれています。農民の命である農地を奪い、市東さんに農業をやめて出ていけと迫る、絶対に認めることができないものです。
 国による公共事業として進められてきた成田空港建設は、強制的な土地取り上げのための土地収用法による以外に用地を確保することはできません。しかし、長年にわたる反対闘争の結果、収用裁決の請求権は89年に時効消滅し、93年に空港公団(現NAA)は収用裁決申請を取り下げました。さらにB滑走路建設のために「あらゆる意味において強制的手段は用いない」と自ら宣言しました。これらにより任意買収以外に用地確保は不可能となっています。
 追いつめられたNAAは、03年になって突如、実は地主から農地を買収していたのだと言い出しました。15年間登記せず、小作料を元の地主に払わせ続け、市東家には買収自体を秘密にしてきたが、地主は自分だから明け渡せと言うのです。
 そもそも、100年も前に祖父・市太郎さんが開墾し、父親である東市さんがビルマからの復員が遅れなければ戦後の農地改革で市東家のものとなっていたはずの農地です。小作人の同意のない底地の売買自体が、憲法や耕作者の権利を定めた農地法からしても無効なものです。NAAが明け渡しを求める権利など1ミリもないのです。
 しかし、千葉地裁・多見谷寿郎裁判長は、違法・無法にふたをしたまま、農地強奪判決を下しました。生きる権利・耕す権利を否定し、市東さんに離農を強制する許し難い判決を東京高裁・最高裁も追認しました。
 市東さんは、NAAに強制執行をする権利はないと請求異議の訴えをおこし、千葉地裁も受理しました。判決が確定しても1年以上にわたって執行はさせないという前人未踏の闘いを続けてきましたが、千葉地裁・高瀬順久裁判長は、証人調べを制限して、この秋にも請求異議裁判の判決を出そうとしています。反対同盟の呼びかける「強制執行反対署名」を集め、千葉地裁を包囲するデモ・傍聴にかけつけ、強制執行を阻止しましょう。
 三里塚52年の闘いは、市東さんの闘いの中にしっかり息づいています。先日放映されたTBSのテレビ番組の中で「ここで死ぬまで農業をやって生きていく。これに何の迷いもない」と応え、全国の労働者・農民・学生に勇気を与えました。

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