団結街道

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週刊『三里塚』02頁(0982号01面03)(2018/01/01)


団結街道


 千葉県佐倉市にある国立歴史民俗博物館の企画展示「『1968年』無数の問いの噴出の時代」を見た。この時代の基底にはベトナム反戦運動があった▼その運動の先駆けとして「神戸の運動」が、べ平連運動、三里塚闘争、熊本水俣病闘争、横浜新貨物線反対運動、全共闘運動と同列で紹介されていたことに驚いた▼神戸港は1945年9月、進駐してきた連合国軍に接収される。朝鮮戦争では、兵員・物資の輸送拠点として国連軍(米軍)の後方基地となった。占領終了後も第6突堤は接収され続け(返還は74年)、ベトナム戦争期も米軍艦船の入港が続いた▼1965年2月に開始された米軍北ベトナム爆撃開始に抗議し、3人の青年労働者が4月神戸米総領事館前で座り込みをはじめる。3日目に参加者が17人に増えたところで逮捕。同年9月18日からは70日間連続の座り込みをはじめた。展示の水戸巌氏(物理学者・救援連絡センターの呼びかけ人の一人)の幼い子どもたちが領事館前でゼッケンをつけ抗議する写真に目を引かれた▼無数のこうした闘いが、1966年10月21日、ベトナム戦争に抗議する日本労働運動史上初の反戦ストにつながった。48の組合(単産)211万人がスト突入。さらに91の組合308万人が職場集会などで闘争に参加。サルトルが「模範とすべき行動」と称えるなど世界的反響を呼んだ▼ストで重要な役割を果たしたのが前年8月、労組青年部を軸に結成された反戦青年委員会だということはもっと強調されていい。
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