全学連三里塚現地行動隊日誌 市東農地決戦の先頭に立つ 若者の未来のため 北原さんの思い出 全学連三里塚現地行動隊長 今井治郎
週刊『三里塚』02頁(0974号02面03)(2017/08/28)
全学連三里塚現地行動隊日誌
市東農地決戦の先頭に立つ
若者の未来のため
北原さんの思い出
全学連三里塚現地行動隊長 今井治郎
(写真 北原さん宅でお話をうかがった後に記念撮影【12年7月 成田市】)
今年の8月9日は、台風5号が過ぎ去った後のとても蒸し暑い日でした。この日、僕が北原鉱治事務局長の逝去を知ったのは、8・6ヒロシマ闘争から帰る電車の中でした。浜松から熱海へ向かう東海道本線、駅でドアが開くたびに熱気が舞い込む車中で、ふと携帯電話の画面をのぞき込み、ふぅーっと出たため息とともに天井を見上げました。
「大地の乱」読み
僕と北原さんの出会いは2010年9月の全学連大会だったと記憶しています。来賓あいさつで登壇された北原さんはこの時88歳、背筋をぴんと伸ばし、「キャンパスは君たちのものだ」「未来のために進め」と学生への期待を込めた闘志みなぎる発言をする姿に驚きと感動を覚えたものでした。次に出会ったのは11月、本の中でした。初めて現地行動隊として1週間を過ごした時に手に取った『大地の乱 成田闘争』、これが僕が現地に住む大きなきっかけとなりました。以来7年間、仙台の地にいる時には全学連の仲間と連れ立って、現地に移り住んでからは多くの裁判や全国集会の場で、新たな仲間が現地を訪れた時には自宅で、何度も北原さんのお話を伺い、鼓舞激励されてきました。今日の全学連運動は、国鉄闘争を中心とする労働運動と三里塚の闘いを手本とし、精神的支柱として闘われてきました。闘争の開始から今日に至るまで51年間、共産党やカクマルの敵対や土地収用法の脅し、開港による重圧、条件派の脱落など、あらゆる困難を原則を貫いて勝ち抜いてきた反対同盟、とりわけその先頭に立ってきた北原さんの生きざまに、信念を持った人間の力を確信させられるのです。
ご自宅に学生の仲間を連れて行くと、北原さんは決まって自分で用意したブックケースに入った「大地の乱」を持ってきて、たばこを吹かしながら得意げに「ここに全部書いてある」と言ってお話をしてくださいました。いつも必ず話してくれたのが海軍での戦争経験です。「私の青春時代は戦争の中にあった」と、「今の時代の君たちの方が大変だよ」と再び戦争の時代を案じ、「三里塚闘争は真実を求める闘いでなければいけない」と固い決意を語ってくれていました。
闘いに年令なし
特にお気に入りのエピソードは78年3月の横堀要塞籠城の闘いで、当時の感情を思い出し、いたずらっぽい笑みを浮かべながら生き生きと、時には絵を描きながら状況を説明する様子には、実力闘争の正しさと勝利への確信が表れていました。事務局長としての重責を担い続けた51年間、決して平坦な道のりではなかっただろうと思います。国家権力による暴虐に、仲間の死や裏切りに、身が裂けるような思いの連続だったのではないでしょうか。それでも労農同盟をけん引し、国際連帯を求め、自らの体を張って、社会全体の利害と未来のために闘ってきた北原さんの精神は、反対同盟の中に、僕の中に、多くの人々の中に息づき、新たな闘いを切り開いています。
最後に、『大地の乱』の終章に記されている、北原さんの言葉から、「闘いに年令はありません。生きとし生けるものの何物にもかえがたい生きざまなのです」「時代をひきつぐ若い人たちに、かならずこの北総台地三里塚から新しい夜明けを告げるときがきます」。勝利の日まで闘いぬくことを誓って。