周辺住民の声
周辺住民の声
軍事転用に危機感
芝山町 男性
飛行時間の制限は県や運輸大臣を交えての決定事項だとの約束だった。朝5時から深夜1時まで飛ばすという機能強化案は許せない。しかも、騒音対策は二重窓の設置を一部屋というもの。その対象も芝山に限ってみれば60戸もないくらいだ。NAAはたかだか10便くらい増えるだけだからたいしたことじゃない。ちょっと我慢すればいいという感覚だ。でも、一便でも飛べば目覚ましになってしまう。そもそも、今でさえうるさい。そのことについての理解がなく、対策も「やってやる」という態度だ。50年間も反対闘争を相手にしていながら、一つも学んでいない。
自分は軍事転用への危機感がある。日米安保新ガイドラインで成田空港も戦争の時には米軍の使用を認めるということで、米軍の受け入れのために周辺のホテル、施設も調べていると聞く。昔、羽田空港に視察に行った先輩から聞いたが、ベトナム戦争のときは、羽田は米軍のチャーター機でいっぱいだったと言っていた。いったん空港ができると必ず軍事に転用される。説明会で相川芝山町長に成田の軍事使用を許さないということをはっきりさせて欲しいと言ったら、高度な政治判断だから自分はできないと言われた。住民がここに住めるようにするのが首長の役割ではないのか。騒音で子育てもできないような状況にして何が芝山の発展か。空港ができても反対だと言い続けてきた反対同盟がいることに勇気づけられて住民の意識も変わってきている。本気でたたかう組織を作り上げれば、機能強化策は阻止できる。
空港との共存無理
多古町 女性
多古町では空港ができて町がさびれたというのが実感だ。これまであったバスが減って、直接成田駅に行くのがなくなり、乗り換えないと行けなくなった。病院や役場に行くのが不便になっている。百姓やって食っていければ若い人も残るんだろうけど。田んぼや畑だけでは食っていけないようにわざとしているのではないだろうか。昔は芝山の工業団地に近所の人たちと働きに出ていた。その頃は楽しかったよ。でもだんだんみんなやめていった。その会社も今あるかどうかわからない。空港を誘致して栄えるということはないんじゃないか。
ここは多古米という美味しい米がとれる。でも田を手放す人も多い。住民みんなで協力してやればいいんだけどそれがなかなかできない。町長はじめ行政も何の保護もせずにほったらかしにしている。ただただもったいないと思う。
今の時代は何をやるのもお金で解決しようとする。昔はみんなでもちを作ったり、赤飯を炊いたり、芋を炊いて食べたり、家の屋根なんかの修理も自分らでやっていた。みんなが助け合って生きていた。でも、今の若い人たちは給料が低いために会社を休めない。だから祭りも成り立たなくなってきている。時間がなくて、祭りのための囃子(はやし)を学ぶ暇もない。子どもも減った。もっとお互いで助け合うようになればいいと思う。
第3滑走路ができるともっと飛行機が近くなる。再移転しないといけないところもある。説明会で菅澤多古町長は、何ら具体的計画も明らかにせずに、移転対象だから準備しておけと言った。人の生活を何だと思っているのか。
〝断固反対〟の重み
横芝光町 男性
今度の空港機能強化案には怒っている。2012年秋、いわゆるカーフュー(飛行禁止時間帯)の弾力的運用を提案してきた時も住民の激しい反対があった。だから、朝の1時間延長案(6時からを5時からにする)を撤回し、夜の11時を12時にする案だけが「承認」された。
実はあの延長だって「例外的にやむをえない事情がある時だけ認める」という、限定的なものだった。だから1時間での総便数を制限し、その時間帯で飛ばす航空会社はペナルティを払う。違反が度重なる航空会社に対しては、飛行を差し止める処分を科すなど、あくまで例外的な処置だった。
ところが今度のは何の制限もなしに飛ばし放題。3年前に「なし崩しで延長することはしない」と約束しておきながら、よくもこんな提案ができたな、と思う。
私はそもそも「地域にもたらされる空港の恩恵」という言い方もその中身も認めない。「恩恵」という上から目線はなんだ、ということだよ。私は農家だけども、空港から利益を受けたことは一度もないし、なくても何の不利益もない。「雇用、雇用」というけど、横芝光町で空港に勤めている人は200人程度しかいない。空港という雇用の場がなくったって、人はどこかで働く場所を見つけるもんだ。空港の労働条件がいいわけでもない。恩着せがましく言うな、何様かということだ。
しかも元々、内陸という制限を承知で造った空港でしょ。そのことを忘れて、やりたい放題をやる空港会社に、今度という今度は住民の怒りが噴出した。二つの部落で「断固反対」の看板が立ったけど、今まで文句言ったこともない部落が看板まで立てた、その重みを肝に銘じてほしい。