全学連三里塚現地行動隊日誌 市東農地決戦の先頭に立つ 民主労総が団結の柱 訪韓闘争で学ぶ 全学連三里塚現地行動隊長 広島大学・N

週刊『三里塚』02頁(0957号02面03)(2016/12/12)


全学連三里塚現地行動隊日誌
 市東農地決戦の先頭に立つ
 民主労総が団結の柱
 訪韓闘争で学ぶ
 全学連三里塚現地行動隊長
 広島大学・N

(写真 11月13日、日本大使館前の軍隊慰安婦少女像を訪問【ソウル】)

 11月東京―ソウル国際共同行動の一環として11月11日から15日まで訪韓しました。現在もなお「21世紀最大のデモ」を毎週のように更新し続ける戦闘的かつ大衆的闘いがどのように準備され、なぜ実現したのか。訪韓して感じたところについて述べたいと思います。
 第一に、国家・資本と最もよく闘うもの(指導部)が最も支持・信頼されるというシンプルな真理についてです。昨年、11月に「労働者が立ちあがらなければ世界は変わらない、一人で凄絶に闘う覚悟ではなく、一緒に闘おう」と呼びかけ、逮捕・投獄にも負けず全世界の労働者民衆に檄を発したハンサンギュン民主労総委員長は、07年、金属労組サンヨン自動車支部の支部長でした。
 77日間にわたる工場占拠闘争で、「解雇は殺人だ」と訴え、警察権力や暴力ガードマンとの白兵戦に一歩も引かずに組合員の団結を守り抜きました。3年間の獄中闘争を経て、真っ向から「ゼネスト」を訴え、全組合員による初の直接選挙によって民主労総の委員長へと押し上げられました。 委員長就任後は、ストライキに次ぐストライキを組織し、反動マスコミや世論を変え、現場に依拠した怒りを束ねてパククネ打倒のうねりを作り出しました。08年の、「イミョンバク退陣」を叫んだロウソク集会100万人の決起は、労働組合の旗とその組織的隊列を牽引車とするのではなく、自然発生的「市民運動」として展開され、民主労総指導部内に体制内的改良主義、議会主義への傾斜を生みだしました。
 この闘いの限界を自覚した民主労総指導部内における激烈な党派闘争をへて誕生したのが、不屈のゼネスト指導部=ハンサンギュン委員長体制であり、この体制が現下の闘いを目的意識的・計画的に準備したのです。
 日本に引き付けて言えば、昨年の戦争法反対の国会前を先頭とした空前の闘いを、労組・学生自治会の排除を叫び、ストライキ・実力闘争を否定し、「市民運動」、「議会主義」へと流しこもうとする勢力との党派闘争に勝利することなしに、真に革命的な闘い(質・量ともに)を打ち立てることはできないということです。
 三里塚闘争の真の発展・勝利もまた、民主労総のように闘うことの中にあります。私自身、絶対反対同盟を確立した「3・8分裂」の決定的意義、動労千葉・反対同盟の労農連帯の闘いの地平を薄めることなく、全国・全世界に訴え、ハンサンギュン委員長や農民の故ペクナムギさんのような決意と体をはった実力闘争で闘う決意を新たにしました。
 第二に、あらためて国鉄闘争の力です。民営化絶対反対を貫いてきた動労千葉の闘いの精神が韓国鉄道労働者の魂を揺さぶり、史上最大最長のストライキを打ち抜く力に間違いなくなっています。12日の民主労総大会で先頭に陣取る鉄道労組の組合員はみな受け取った『前進』を食い入るようにながめ、中に着込んでいた動労千葉Tシャツを見せてくれた組合員もいました。
 第三に、たとえ少数でも絶対反対・実力闘争で闘う拠点が首都のど真ん中にあることの意義についてです。今回訪問した、公共運輸労組やセウォル号事故遺族、日本大使館前の少女像、東洋セメント・旭硝子闘争の座り込み現場はすべてソウル中心部で歩いていける程の距離にありました。
 いずれも常駐しているのは数人ですが、資本・権力との闘いを幾度も経ながら実力でもぎり取ったテントです。都労連解体を策す小池都政との闘いは決定的です。
 第四に、青年・学生の決起です。12日のデモでは、野党の集会など問題にならないくらいの規模で大学生・高校生のグループが道路に座り込み、集会を行っていました。「恋愛・結婚・出産・マイホーム・人間関係・夢・就職」を奪われた七放世代が、チェスンシルの娘の裏口入学をきっかけに怒りを爆発させています。すべてを奪われた世代が労働者とともにすべてを奪い返す闘いが始まっています。組合旗を先頭に続々と会場に入ってくる組織された労働者の力強さは壮観であり、アジテーションの口ぶりを真似る高校生に労働者の闘いへの深い共感があることを感じました。
 最後に、ハンサンギュン委員長をとり戻す闘いは、日本において星野文昭さんを先頭とした獄中同志奪還する闘いや京大生への処分撤回と一体です。世界単一の闘う労働者党の建設へ闘おう!
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