全学連三里塚現地行動隊日誌 市東農地決戦の先頭に立つ 第3滑走路反対 住民の怒りを実感 11・4民主労総と交歓 全学連三里塚現地行動隊 首都圏大学・K

週刊『三里塚』02頁(0956号02面01)(2016/11/28)


全学連三里塚現地行動隊日誌
 市東農地決戦の先頭に立つ
 第3滑走路反対 住民の怒りを実感
 11・4民主労総と交歓
 全学連三里塚現地行動隊 首都圏大学・K

(写真 民主労総を迎えた三里塚現地の交流会。全学連行動隊も交じって記念撮影【11月4日】)

 今年の10月、市東孝雄さんの農地法裁判で上告棄却が決定してからも市東さんは、いつも通り畑で野菜を作り続けています。きっと私だったら、厳しいと思います。
 学生や若者を戦争に絶対に行かせないために50年間空港建設を阻み続けている反対同盟や市東さんはあらためて本当にすごいとおもいます。これからも一緒に闘い続けるつもりです。
 そんな三里塚の畑も最近、冬らしくなりネギ苗がすくすくと育ち始めると同時に雑草との合戦が始まりつつあります。産直のコンテナにも水菜が入るなど、こちらも冬らしくなりました。
 反対同盟による11月13日の周辺一斉行動にも参加しましたが、私が担当したのは、多古町「牛尾(うしのお)」という聞いたことも行ったこともない場所です。いつもは「反対同盟ニュース」をポスティングするだけなのですが、今回はインターホンを押して一軒ずつ人に会って手渡すという、私にとっては初めてのやりかたでした。
 最初はとても不安でしたが、会う人は皆、空港に対する意識が高く玄関先でたくさん討論をしたり意見や感想を聞いたりして盛り上がりました。中でも多かった意見は「第3滑走路ができてしまったら睡眠時間が削られる! いい加減にしてくれ!」、「立ち退きになっても私は絶対にここで生きて行きたい。生まれ育ったこの場所を離れたくない!」という声でした。
 確かに生まれ育った場所は近所付き合いや人とのつながりがあります。3・11や福島の原発事故もそうでしたが、仮設住宅や知らない場所へ移り住み、それまであった人とのつながりがバラバラになってしまった人が大勢いました。
 滑走路のためにその町がコンクリートに固められ、もう二度と自分の生まれ育った土地に帰れなくなってしまったら、それまで付き合いのあった人ともう会えなくなったら……。そう考えると胸が痛くなり、自分のことのように思ってしまいます。
 国やNAAは、こうやってバラバラにして団結しないようにしているのではないでしょうか。だとしたら許せません! これからも一斉行動で、「第3滑走路反対、市東さんの農地をいっしょに守ろう」と訴え続けます。
 また、11月4日に三里塚と民主労総との交流会がありました。私はその日、援農を終えてから合流しました。韓国語は話せませんが、英語は何とか少し話せたので去年よりは交流を深められました。日本と韓国、使う言葉は違いますが、ジェスチャーと心で通じ合えることを学ぶことができました。パククネ政権と安倍政権のことで少しだけ盛り上がれました。スマートフォンで韓国の風景を見せてもらいましたが日本と似ている気がしました。民主労総の人の中でも、日本語が少し話せる人が6人ぐらいいました。発音も上手で自分も負けられないとおもいました。
 後から聞いた話ですが、日本語と韓国語は文法や語順が似ているそうです。交流会が終わり別れ際に「韓国語も勉強して話せるようになってくれたら嬉しいな!」と言われました。ハングルは漢字とは違って、見慣れないし読み方もまったく分からないですが、少しずつ勉強して話すことができたらと考えています。
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