7・3東京集会の発言 「農地死守・軍事空港反対は偉大」

週刊『三里塚』02頁(0947号01面03)(2016/07/11)


7・3東京集会の発言
 「農地死守・軍事空港反対は偉大」

反対同盟の発言

9・7最高裁提出、10・9集会へ
 司会 萩原富夫さん

 今後の行動方針として①7月11日の市東さん耕作権裁判・デモ、②9・7最高裁への第3次署名提出行動、③10・9全国集会への結集を訴えます。

「農地は命、耕す者に権利あり」
 市東孝雄さん

 私も萩原さんと同じで興奮ぎみです。今日は、会場いっぱいに来た皆さんの顔を見て本当に良かったと思っています。沖縄・福島を結ぶ三里塚闘争50年。初めから闘っている方々も今日来ていますが、あらためて50年を考えてみますと、同盟の最初からの「農地死守・軍事空港反対」は偉大な闘いだと思っています。私は、50年のうちの3分の1くらいしか携わっていませんが、この10年、皆様方の署名や裁判、援農でお世話になっています。
 私は農業が好きです。生まれてから、その土地を誰にも文句を言われず100年やってきた農家です。にもかかわらず、空港を造るから出て行けと言われている。こういう攻撃がかかってきたのです。それは絶対許されない。「農地は命だ」「耕す者に権利あり」、そのことをあらためて問いたいと思います。これからも皆さんとともに、天神峰の地で1日も長く農業を続け、反対運動を続け、安倍政権をひっくり返すような闘いを、まず三里塚現地からうち上げていきたいと思います。

50年は偉大、これからも闘い続ける
 司会 木内敦子さん

 三里塚闘争50年、非常に感慨深いものがあります。戸村一作委員長をはじめ亡くなった人たちの思いを反対同盟は受け止めています。以前、私は萩原さんに「萩原さんは前から反対同盟ですよね、わたしは途中からの参加なんです」と言ったら、「そんなこと言ったら腹すわっていない」と叱られました。参加した時点から闘い続けることが大事なんですね。

三里塚50年の姿は沖縄・福島と同じ
 カンパ 宮本麻子さん

 国家は意思を通すために暴力で農民人民に襲いかかって来ます。三里塚50年の姿は、沖縄・福島でも同じです。市東さんの最高裁署名1万9千筆をいただきました。複数の裁判を闘っています。闘いを続けるため支援をお願いします。農地死守・実力闘争、話し合い拒否の基本原則を守り闘っていきます。

支援共闘団体の発言

労農連帯闘いの力
 動労千葉田中康宏委員長

 50年の闘いに敬意を表します。中野洋前委員長が千葉県反戦を結成して以来、ともに闘い続けました。組織をあげて闘うようになったのは、ジェット燃料阻止闘争です。輸送の担当は全員が組合員でした。当時動労本部との対立がありました。大激論で年4回大会を開き闘う執行部ができた。三里塚との連帯がなければ、動労千葉は闘う組合ではいられなかった。労働者は闘う力がある。下請けの非正規労働者からも加入者が続々出てきています。三里塚と連帯して進んでいきたい。

5万人署名が重要
 弁護団 葉山岳夫さん

 私は同盟結成1年後から弁護団に就任し50年になった。歴史学者の羽仁五郎さんは「三里塚は現代のパリコンミューン。三里塚はいまだに闘い続けている。動労千葉にもお礼を言いたい」と賛辞を述べた。絶対反対で闘い続けていることが勝利の証です。今、市東さんの農地決戦は、安倍政権との対決の中心的課題です。人民の闘いなくして公正な判決が出たことはない。5万人署名と提出行動は重大です。戦争政治と一体の農地収奪・反対同盟つぶし粉砕

完全勝利しかない
 関西生コン 西山直洋さん

 国家相手に50年間も闘える。これは、完全勝利するしかない。関西においても全面的に支援・連帯したい。署名から取り組んでいます。これを継承させていきましょう。今、教科書を見ていてビックリした。「独島(竹島)どこの国が収奪したのか」と洗脳教育が行われている。労働組合は真実を知らせていく。

全農民の未来かけ
 農民会議 小川浩代表

 三里塚は農民の闘いです。私が農家になって50年。農業問題は労働者の問題。今、市東さんの問題は全国の農民にかけられた攻撃だ。農民を労働者が獲得するのかどうか、ということです。三里塚闘争に大義がある。市東さんを守って全国農民会議は先頭で闘う。

三里塚の意義痛感
 農民会議 鈴木光一郎代表

 原発事故が起きて初めて、三里塚がすさまじい人間としての生き方がかかった存在としてあることが分かった。これからも福島と全国農民会議はは闘い続けます。

野戦病院の闘い
 ふくしま共同診療所 杉井吉彦医師

 共同診療所を開院してから4年。現在行われているのは帰還強制です。小児甲状腺ガンが急増している。
 私たちは三里塚野戦病院で数千人を守り抜いた仲間です。医者にとって、闘いの中でどこで医療をするのかが問われた。この闘いが、福島診療所には脈々と生き続けています。

これからも支援を
 福島診療所建設委 佐藤幸子さん

 福島は戦場になりました。福島は血を流しています。でも目に見えないから怖いのです。甲状腺がんは173人になりました。若者が放射能に怯えています。戦場から子供を避難させることから始め、診療所作ることにしました。
 反対もありましたが大勢の人に理解してもらえました。福島とともに闘ってください。

ゲストスピーカーの発言

三里塚50年に敬意
 新聞労連新崎盛吾委員長

 今日は一記者として話します。あいさつを引き受けた理由は二つです。1990年代に三里塚に関わったことが、私の記者生活の転機だったからです。もう一つは私が沖縄出身だからです。国家の国策による住民無視、これは沖縄も三里塚も同じ構図です。三里塚闘争50年の歴史に敬意を表します。

農業を守る三里塚
 市民バイオテクノロジー情報室 天笠啓祐代表

 三里塚は、減反政策など農家に農業するなと言う政策に真っ向から対決してきた闘い。90年代になると、WTOなど本格的なグローバリズムの時代に入った。この時、空港拡大問題が出てくる。これと闘っているのだから、三里塚は日本政府の邪魔。
 農業を守る三里塚は、グローバル化の要である空港問題で政府ののど元に匕首を突きつけている。50年の闘いに敬意を表しともに歩みたい。

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