北総の空の下で 「50年」は通過点 76年に三里塚へ
週刊『三里塚』02頁(0944号02面05)(2016/05/23)
北総の空の下で
「50年」は通過点
76年に三里塚へ
芽吹きの季節、梅雨前のさわやかな空気を満喫しています。三里塚闘争50年、私にとっては40回目の春です。私は鉄塔決戦が始まる76年4月、6カ月の決戦現闘として三里塚に来ました。予定していた人の代役で、右も左もわからない19歳の小娘が、三里塚の大地と多くの人びとに育てられて今に至ります。
71年、最も激しく闘われた強制代執行阻止闘争は、全国にテレビ中継されました。当時私は高校生。国家の横暴を映し出す映像に感じるものは多く、日記帳に貼った新聞切り抜きは少年行動隊の写真だったと思います。
大学に入った74年は12万人を集めるなど狭山闘争の真っ盛り。どちらにも共通するのは子どもからじいちゃんばあちゃんまで、地域ぐるみで国家権力に立ち向ったこと。このエネルギーと解放感が私をつき動かしました。
以降も鉄塔決戦、開港阻止決戦、85年三里塚十字路戦闘、成田治安法と団結小屋攻防戦等々、歴史に残る実力攻防戦が続きました。〝三里塚〟の原点は、新左翼との共闘、社共との決別にあります。条件交渉での幕引きを結論にする既成政党をのりこえたから、初心を貫くことができたのです。「ここまでできてしまったのだから」「反対同盟は少数になったから」——マスコミを中心に、常に幕引き圧力がかかります。権力から守り抜いた農地、大勢の食糧をまかなう農地を、でたらめな航空需要試算を根拠に奪われてなるものか! 50年は通過点です。
北里一枝