誘導路裁判 準備書面 国、NAAの暴論弾劾 市東さんの生きる権利否定
週刊『三里塚』02頁(0941号01面02)(2016/04/11)
誘導路裁判 準備書面
国、NAAの暴論弾劾
市東さんの生きる権利否定
反対同盟が国と空港会社(NAA)に対し、第3誘導路等の供用の差し止めなどを求めている裁判で、国交省とNAAはデタラメ極まりない暴論を行ってきた。3月8日と3月15日のそれぞれの準備書面で、「自らの自由意思で騒音の発生源である空港敷地内に住む市東孝雄は、法的保護の対象外であり訴える権利はない、騒音や危険などがあっても受忍すべきだ」と言い放った。
2010年12月の裁判の開始から5年、市東孝雄さんに浴びせられる騒音は、爆音訴訟で自衛隊機の差し止め命令が出た厚木基地の約10倍だ。この現実の暴露に追いつめられた国とNAAが、市東さんに対して、「激甚騒音によってこの地で死ね」と言わんばかりの暴言を吐いてきたのだ。断じて許せない。
第一に、市東さん宅は100年前からこの地に農民として生活しており、後から侵略し割りこんで来たのが成田空港だという事実だ。市東家には、この地で人間生活に不可欠な農産物を作る揺るがぬ権利があり、それを脅かす犯罪行為に対して、これを訴える確固とした資格がある。
第二に、「空港の騒音を承知で戻ってきたのだから訴える権利はない」旨の主張についてだ。市東孝雄さんは亡くなった父東市さんの後を継ぎ、市東家の農業を継続するために1999年に戻ってきた。しかし、家の前の暫定B滑走路が供用開始になったのは2002年、市東宅を完全に空港の中に囲い込んだ第3滑走路の供用開始は2013年だ。両者によるすさまじい騒音は「分かっていたこと」などでは全然ない。
逆に、人が住んでいることを知りながら、闘いを貫く市東さんを騒音でたたき出す意図をはらんだ違法行為なのだ。
第三に、後か先という議論自体が、本末転倒だということだ。人はどこに住もうが、どこへ移住しようが、憲法に保障された「居住の自由」がある。そこに殺人的な騒音を発生させていること自体が人権侵害であり、被害は無条件に救済されなければならない。
この点で、国とNAAは「市東の住んでいる所は人が住むことを想定していない空港の中だから、法的保護の対象にならない」なる、破綻的な主張もしている。ならば聞く。住民を暴力で追い出し、空港を造ってはならない場所にむりやり空港を造ったのは誰かと。もともとここは人が住み、命に欠かせない農業を営むための場所だった。盗人猛々しいとはこのことではないか。
人権は絶対不可侵
さらに、法律があろうがなかろうが被害は被害であり、権利侵害は権利侵害だ。航空法39条2項に言う「空港の設置にあたっては他人の権利を著しく侵害してはならないない」の趣旨は、憲法20条に規定された「安全で文化的に生活する権利」が法律に優先するということだ。こんなことは憲法論のイロハだ。国交省とNAAの主張はつまるところ、「空港敷地内に住む人間に生きる権利はない」という、まさに〝農民殺し〟宣言だ。国、NAAの暴論は、三里塚闘争50年の闘いと、弁護団を先頭とした粘り強く、鋭い弁論闘争に追いつめられたあげくの悲鳴だということだ。
「二度と強制的な手段は用いない」(1991年成田シンポ)、「二度と住民の皆さんの人間としての尊厳を踏みにじるようなことはしません」(2005年黒野元社長)と公約し謝罪したのがNAAではないか。「航空産業の利益のために、日帝の戦争政策のために騒音被害は受忍せよ」という国交省とNAAに今こそ鉄槌を下せ。