戦争法と成田軍事化は一体 日米の朝鮮出撃基地 米本土からは50万人が飛来

週刊『三里塚』02頁(0938号02面02)(2016/02/22)


戦争法と成田軍事化は一体
 日米の朝鮮出撃基地
 米本土からは50万人が飛来

(写真 朝鮮侵略戦争の際に米軍の空輸基地にされる成田空港【中央右=概念図】)

 2月14日の東京新聞は、米韓軍が3月7日から4月30日まで予定している「キーリゾルブ」「フォールイーグル」の大規模軍事演習の中に、作戦計画「5015」が想定するキムジョンウン斬首作戦を含む方針であることを報道した。まさに朝鮮半島情勢は一触即発、いつ侵略戦争が始まってもおかしくない危機的な状況だ。第3滑走路建設や暫定B滑走路の1000㍍延長など、「成田空港の機能強化」攻撃は、この朝鮮半島情勢と連動している。
 ここでは、朝鮮侵略戦争と成田空港が関連している真相を資料を基に明らかにする。もともと成田空港の計画自体が、ベトナム戦争による大規模な軍事使用の結果、狭くなった羽田の代替空港として作られた。最初から成田は戦争と密接に関わって出発した。そして、1980年代には自衛隊幹部による日本列島の防衛と成田をはじめとした巨大民間空港の一体性を示す発言が相次いだ。
 成田空港の軍事使用構想が具体的に明らかになったのが94年の朝鮮危機だった。93年5月の北朝鮮によるNPT脱退の事態から翌94年6月まで、戦争の危機は頂点に達し、米帝クリントンは開戦の決断寸前まで行った。
 その時、日本列島の戦争動員とりわけ成田を始めとする民間空港の動員が具体化していた。50年に始まった朝鮮戦争が、日本列島全体を巨大な兵站基地とすることで初めて可能だった歴史を想起すれば、意外でも何でもない。
 その実態を94年6月12日付ロサンゼルスタイムズは「朝鮮半島で戦争が起きたら、成田、札幌(千歳)、新潟空港を、民間便を停止させてでも空輸基地として使用しなければならなくなる」と報じた。
 北朝鮮危機の2年後、96年4月20日付の日本経済新聞は「米軍は、極東有事の際に米軍が使えそうな施設を定期的に事前調査している」とし、「民間空港を調べる場合、兵舎に転用できる建物や防空ミサイルを設置する場所まで下見する」「その徹底ぶりは『電気器具のコンセントの穴が二つなのか三つなのかまで調べ上げる』(統合幕僚会議筋の話)」と。結局、日本の安保法の不備によって侵略戦争開戦は見送られた。安倍政権による安保法強行は、この遅れを取り戻すものだ。
 以上の戦争動員体制は強化されている。07年1月4日付朝日新聞は、02年に作られた朝鮮半島での「概念計画5055」改訂作業の中で、米軍による日本の空港・港湾の優先使用が問題となり、具体的な空港名として「成田、羽田、関西」など約30カ所の空港・港湾があげられたと報じた。昨年8月23日付の毎日新聞も米国防総省が08年7月に日本の外務省や防衛相省に23の空港と港湾の調査を要求していたことをすっぱ抜いた。
 以上から分かることは、成田空港で現在計画されている第3滑走路、暫定B滑走路の延長は、完全に朝鮮有事の際の成田の軍事動員攻撃と一体だ。日米軍が成田から出撃していく。そのために複数の4000㍍級滑走路が必要なのだ。今こそ軍事空港成田を廃港に追いこもう。
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