反対同盟とソウル本部 10回の交流で団結深まる 北原鉱治事務局長 「民主労総と手つなぎ」
反対同盟とソウル本部
10回の交流で団結深まる
北原鉱治事務局長 「民主労総と手つなぎ」
11・1全国労働者集会に参加する韓国民主労総ソウル地域本部の労働者29人が10月30日、来日し、三里塚現地を訪れた。一行は正午過ぎに成田空港に降り立つと、ただちに動労千葉の案内で天神峰の市東孝雄さん宅離れに到着した。
動労千葉の田中康宏委員長が「なぜ皆さんをここ三里塚に案内したのか」と語りかけ、動労千葉と三里塚の固いきずなと歴史について簡単に提起した。
現地調査を行うにあたって、三里塚闘争の歴史について知ってもらおうと、「三里塚闘争はなぜ約50年も闘って来たのか」を現闘員が説明した。
公務員が多数を占める訪日団からは「政府による買収工作はどのようなものだったのか」「50年闘ってきた歴史は解ったが、その苦闘ぶりをもう少し具体的に教えて欲しい」、「第3滑走路の説明がなされたが、実際に土地を奪われる人の数はどれくらいになるのか。騒音下になる地域の住民の意見はどのようなものか」などの突っ込んだ質問が出された。
現闘員の案内で、市東さんの家の前の畑、やぐら、「成田空港粉砕!」と日本語、英語で書かれた大看板および天神峰・南台の市東さんの畑と、さらに開拓道路(1971年9・16東峰十字路戦闘の戦場)を見て回った。そして東峰神社の前で記念撮影。最後の東峰墓地では、墓石もなく墓碑銘と土盛りだけで造られた、昔ながらのお墓の埋葬方式に興味深そうに見入っていた。
激戦地を回って一行は50年の三里塚闘争の地平を確認していた。
赤いベスト着て
午後4時30分、交流会の会場に到着、5時からの交流会に臨んだ。三里塚闘争の歴史を記録したビデオ「三里塚大地の乱」が上映された。一同は逮捕・流血を恐れぬ実力闘争の記録を固唾(かたず)をのんで見守り、たった今現地調査を行った場所を想起していた。
北原鉱治事務局長をはじめ反対同盟が到着すると、動労千葉の川崎昌浩書記長が司会を務め、交流会が始まった。
最初に反対同盟の萩原富夫さんの音頭で乾杯。動労千葉の田中康宏委員長があいさつした。「反対同盟との連帯を貫き、ジェット燃料貨車輸送阻止闘争を闘い、動労本部から独立した。その力で分割・民営化攻撃と闘い、民主労総の同志たちとも出会えた」と、三里塚労農連帯の意義を語った。
反対同盟の北原鉱治事務局長があいさつ。「韓国の皆さんが毎年三里塚を訪れるのはすばらしいこと。世界平和のために、民主労総と手をつなぎ、三里塚は闘う」とあいさつ。市東孝雄さんは、「軍事空港と農地取り上げに反対してこの地で農業を続けている。韓国の皆さんとともに闘います」とあいさつした。
応えて、民主労総ソウル本部事務処長のソンホジュンさんが、心尽くしの歓迎へのお礼を述べ、「三里塚現地を見て、権力と資本による攻撃のひどさは同じと感じた。自由と平和をわれわれの闘いの中でかちとろう!」と力強くアピールした。 さらに反対同盟の萩原富夫さん、宮本麻子さん、伊藤信晴さんが発言した。民主労総は、公務員労組は支部ごとに自己紹介を行い、鉄道労組、ソウル地域本部の労働者もそれぞれあいさつした。反対同盟との距離が一気に縮まった。
一行は、現闘員らが用意したキムチ、刺身、てんぷら、から揚げ、赤飯、ケンチン汁など心尽くしの食事に舌鼓を打った。歓談の時間には、伊藤信晴さんが一升瓶をもって民主労総の仲間のテーブルを回り、交流を深めた。
記念品の交換が行われると、反対同盟は贈られた真っ赤なベストをそれぞれ着て勢ぞろい。表には「民衆総蹶起(けっき)」とハングル文字で書かれ、裏側には日本語で「私たちが歴史を動かす――民主労総ソウル本部、動労千葉」と書かれている。
反対同盟からは「空港絶対反対、農地死守、実力闘争」と書かれた闘いのハチマキとDVD「三里塚大地の乱」などが、ホンサンジュ事務処長に手渡された。
現闘員、全学連行動隊の同志も交え、言葉の壁を越えて和やかに語り合い、時間を忘れて交流を深めた。最後に全員で「トゥジェン!」のかけ声で記念撮影し、11・1労働者集会の成功を誓い合った。