7・11 茨城の「市東さんの農地を守る会」 現地調査と交流会

週刊『三里塚』02頁(0924号01面04)(2015/07/27)


7・11 茨城の「市東さんの農地を守る会」
 現地調査と交流会

(写真 現地調査の後、市東孝雄さんと交流会を行う「守る会・茨城」の仲間【7月11日 成田市天神峰】)

(写真 現地調査の途中で萩原富夫さん【右から2人目】と交流)


 7月11日、「市東さんの農地を守る会・茨城」のメンバー8人が三里塚を訪れ、現地調査および市東孝雄さんとの交流会を行った。正午過ぎ、市東さん宅に到着した一行は、市東さん宅周辺の畑、やぐらなどを三里塚現闘の案内・説明で見て回った。小竹運輸労組副委員長の野澤英人さんはコメ農家でもある。市東さんのトラクターを借りて畑を耕し始めた。市東さんとの気持ちの距離が縮まった。畑の北隅にある、星野文昭さんとの連帯を求める「星の木」(2005年植樹)の前で記念撮影。ヤグラ、団結街道と見て回った。市東さん宅母屋を除いた離れ、畑、育苗ハウス、作業場など全部が、農地法裁判で明け渡しの対象となっている場所だ。
 一行は南台の畑へ。現場で、農地法裁判の対象地と耕作権裁判の対象地の違いが説明された。さらに、暫定B滑走路のわずか50㍍の近くまで、刀のように伸びている東峰の開拓組合道路を訪れた。1971年9・16戦闘で死んだ機動隊員の慰霊碑がある。「三里塚にはこういう拠点があるのか」と初めて参加した人がつぶやいていた。
 つづいて東峰墓地へ。一昨年亡くなった萩原進さんの墓前で手を合わせる。大木よねさんの墓もある。さらに東峰神社へ。2001年に立ち木が伐採された直後に植えられた白カシが伸びて航空機の着陸用進入表面の上に突き出ている。NAAは東峰部落に伐採を要請したが、当然拒否した。そして、萩原富夫さん宅に立ち寄った。富夫さんは農作業の手をやすめて、第3滑走路阻止への意気込みを語った。横堀、岩山と駆け足で見て回った。特に空港のど真ん中にある横堀鉄塔に至る道は大半がトンネル。NAAはこの道を確保するために、何千万円もかけなければならなかった。
 市東さん宅に戻り、午後4時から交流会に臨んだ。動労水戸の木村郁夫書記長が司会。同池田学執行委員、小竹運輸労組の野澤英人副委員長、植田和実書記長そして、産直野菜の消費者、牛久入国管理事務所での強制収容者支援の闘いをしている女性、星野文昭さんをとりもどす会・茨城の男性がそれぞれ感想を語った。「50年、国と対決して闘いぬく三里塚のすごさをあらためて実感した」「毎週のように労働者が現地調査に来るような運動を」などの感想が語られた。
 また、参加者のうち4人が農家か野菜作り関係の人で、野菜、農業の話で盛り上がったのが印象的だった。市東さんが「この長雨でトマトに被害が出ちゃった」と語ると、「天気や雑草と365日闘う三里塚だから国とも闘えるんですよ」と、農家の三男坊ならではの木村書記長のリアクションに一同納得。
 最後はカラオケ大会で現地調査・交流会をしめくくった。

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