市東農地決戦の先頭に立つ 全学連三里塚現地行動隊日誌 危険・欠陥空港を実感 現地調査に参加して 首都圏大学・A
週刊『三里塚』02頁(0913号02面01)(2015/02/09)
市東農地決戦の先頭に立つ
全学連三里塚現地行動隊日誌
危険・欠陥空港を実感
現地調査に参加して
首都圏大学・A
(写真 A君は1月11日にも三里塚を訪れた【「星野さんの木」の前で】)
(写真 設置するスペースがないため、B滑走路の誘導灯は東関東自動車道の上を横切ってハシゴ状に造られている)
私は千葉県で生まれ育ったが、三里塚については聞いたことがある程度で深くは知らなかった。今回、1月25日に三里塚に行き、現地調査、援農をさせていただいて三里塚で起こったこと、現在進行形で起こっている問題を知ることができた。 現調で三里塚の重要なポイントをまわり感じたのは、「へ」の字に曲がった誘導路、高速道路の上まで伸びている誘導灯(写真下)など強引な設計による空港の危険性だ。
実際に事故が起きているし今後もいつ事故が起きてもおかしくない状態だろう。空港の警備面等でも、巨額の費用を投じて建設し大量の人員も割いているわりに空港内に入ろうと思えば入れそうなつくりであり成田空港の脆弱さを感じた。
これらも元々そこに住んでいた住民、農家の土地を強引に取り上げ、空港を造った結果だろう。空港周辺をまわっていて気になるのはやはり騒音だった。昼間であってもうるさく感じるその音は今後成田空港が24時間離着陸するようになれば深夜の被害は計り知れないものになるし、心身への影響も当然でてくるだろう。それら に対する成田空港側の対応も問われるだろう。
10・20闘争の現場に
1985年10月20日の闘争が起こった現場も行かせていただいた。10・20の闘争は以前映像で見たことがあり非常に印象に残っていた。機動隊相手に丸太で突っ込むという、この日本でのできこととは信じがたいほどの強烈な闘争が起こった場所を実際に見ることができ感慨深いものがあった。援農では、市東さんの畑で大根の種まき等をさせていただいてあらためて農業の地道な大変さを肌で感じることができた。畑は無農薬と伺ったのでなおさらだろう。成田空港建設によって今まで使えていた道が使えなくなり遠回りしなくてはならなくなってしまうなど、空港建設はただでさえ大変な農業を余計大変にしてしまっている。だからこそより多くの人が援農に行き市東さんの助けになればと思う。
今回現調、援農をさせていただき、あらためて空港の在り方、成田空港建設における近隣住民、農家への対応の在り方など成田に住む者でなくとも考えていかなくてはならないと思った。