「萩原進事務局次長偲ぶ会」を開催 〝家族ぐるみの闘いが歴史作った〟
週刊『三里塚』02頁(0911号02面05)(2015/01/12)
「萩原進事務局次長偲ぶ会」を開催
〝家族ぐるみの闘いが歴史作った〟
(写真 「偲ぶ会」の最後に感謝の言葉を述べる萩原富夫さん【後方=12月20日 成田市】)
12月20日、反対同盟が主催する「萩原進さんを偲(しの)ぶ会」が成田市で開かれ、全国から90人が参加した。
会に先立つ午後2時、東峰墓地で萩原家と反対同盟の案内でお墓参りが行われ、参加者が列をつくり、手を合わせた。 成田山新勝寺に程近い会場で、午後3時から「偲ぶ会」が開かれた。開会前にビデオが流された。萩原さんの映像記録は、その生涯が権力の暴虐を許さない闘魂にみちたものであることを感じさせた。
伊藤信晴さんの司会で黙祷(もくとう)を行ったあと、北原鉱治事務局長が主催者あいさつに立ち、「萩原さんは命をかけ、三里塚を全国農民の闘いとして発展させるために力を尽くした」とたたえた。
続いて天神峰の市東孝雄さんが、「進さんの遺志を継いで闘うことが私たちの務めと信じ闘ってきた。進さんはこれからも私たちとともにある」と献杯の音頭を取った。 参加者のあいさつの最初に、動労千葉の田中康宏委員長が立ち、ジェット燃料貨車輸送阻止闘争を中心に思い出を語った。1978年、国鉄当局と動労カクマルが結託してのスト破りに対し、動労千葉は「いったんハンドルを握っても、三里塚に連帯する動労へと大変革する」との決意で、「輸送拒否から輸送阻止へ」戦術を転換した。当時の青年行動隊の大半が「結局運ぶのか」と反発する中で、萩原さんは最先頭で「動労千葉は本気で闘っている」と理解と支持を表明した。そして、動労千葉が本部から分離独立し後の81年、5日間のストを闘った時、萩原さんはそこで再び、動労千葉の闘いをたたえた。この経過を振り返り、田中委員長は「労農連帯は、必ず階級的労働運動の再生につながる」との確信を表した。
反対同盟顧問弁護団の葉山岳夫弁護士は、常に実力闘争の先頭に立っていた萩原さんの生涯を振り返り、農地裁判控訴審勝利を約束した。
全国農民会議共同代表の小川浩さんは、70年に千葉県の農村青年の組織化をめぐって萩原さんと一緒に日本共産党と闘った思い出を語り、安倍農政と闘う全国農民の決起をつくることを誓った。
そして革共同の深谷邦男同志は、「1期開港の既成事実をはね返した萩原さんの三里塚勝利論こそ彼の真骨頂だった」とたたえ、「労働者・農民が革命の扉を開く。三里塚の勝利はその一環だ」と訴えた。
さらに多くの発言で、萩原さんの類いまれな指導力と温かい人柄が浮き彫りになった。
家族からのあいさつとして、連れ合いの萩原静江さんが、進さんと悔し涙も喜びも共有してきたことを語り、「原則を守り家族ぐるみで闘ったことが、反対同盟の歴史をつくった」として、参加者にお礼を述べた。萩原富夫さんは「頑固なおやじ」との日々を語り、「萩原進の魂は皆さんと私たち家族の中に生きている。私は同盟の最先頭で闘う」と胸を張り大きな拍手を浴びた。
司会の伊藤さんが最後に、1・11旗開き、3・4農地裁判控訴審弁論、3・29全国集会の日程を報告し、決戦の2015年への決意を確認して集まりを閉じた。