民主労総 闘いの歴史 全泰壱精神が原点 非正規職撤廃の先頭に
週刊『三里塚』02頁(0906号02面02)(2014/10/27)
民主労総 闘いの歴史
全泰壱精神が原点
非正規職撤廃の先頭に
(写真 昨年11月1日に行われた民主労総ソウル本部との交流会【三里塚現地】)
韓国・民主労総ソウル本部と反対同盟の交流は今年で9回目になる。民主労総結成から今日までの歴史を紹介したい。
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民主労総(全国民主労働組合総連盟)は、70年のチョンテイル(全泰壱)烈士を闘いの原点に据えている。超低賃金の中で、1日13〜16時間労働を強いられ、縫製工場での労働災害に苦しむ若い女性労働者の現実に怒り、労働庁に請願したが受け入れられず、ついに「勤労基準法を守れ」と叫んで、全身に火を放ったチョンテイル青年。彼が命をかけてまで訴えたあまりに過酷な労働現場の現状を職場からの闘いで打ち破るという精神が民主労総の原点だ。
民主労総設立に向けた決定的飛躍点となったのが87年労働者大闘争だ。1300余りの新規労組の設立、一日平均44件のストライキ、400万余りの労働者の参加という空前の大闘争は、広範な大衆的闘いとして爆発し、社会の真の主人公は誰なのかということを韓国労働者階級に自覚させ、政治的進出の土台の一定の構築に成功した。
その中で、90年、全労協(全国労働組合協議会)結成へと上りつめた。労働者が生産・社会・歴史の主人公であるということをつかみ、自らの力で既存の御用組合、企業別組合を打破し、産別労組の中央組織建設、労働者の政治勢力化を推し進めていったのだ。
結成後の闘い
95年、ついにナショナルセンターである民主労総の設立を成しとげた。862単位労組・41万8千人の組合員を産業別連盟単位で組織し、地域本部体制が推進された。99年には合法化をかちとり、今日では2031組合、70万人の組合員を擁するまで発展している。その後、96〜97年民主労総ゼネスト闘争が「朝鮮戦争以後最大の政治ゼネスト」として「労働市場の柔軟化」と称する雇用破壊に対してたたきつけられた。一方で、公共部門の民営化と、製造業(とくに金属産別)での整理解雇・非正規職化攻撃に対して、職場での闘いではなく、議会主義的な政治勢力化を追求することで突破しようと試みる勢力との激突が始まり、04年の総選挙では、民主労働党が10議席を獲得したが、現場労働者との乖離(かいり)が起こっていた。
そうした中で、非正規職労働者みずからが労働組合を組織し、生存権死守をかけて闘争を開始した。新自由主義粉砕・非正規職撤廃・整理解雇粉砕の現場労働者の闘いが2000年、イーランド闘争を皮切りに巻き起こり、ストライキに継ぐストライキで勢力を拡大していった。09年、ヨンサン地区で、再開発反対で籠城していた住民5人の虐殺に抗議する闘いの爆発。09年、海外資本への売却に伴う整理解雇に対し、「解雇は殺人だ」と訴え77日間の籠城実力ストライキを行ったサンヨン(双龍)自動車労組の闘いは、警察、暴力ガードマンの殺人攻撃との闘いをやり抜き、組合員の団結を守り抜いた。10年、現代自動車非正規職支会が、ウルサン(蔚山)で25日間の工場占拠ストを闘いぬいた。そして、大法院(最高裁)で不当派遣を認定する判決をもぎり取ったのだ。
11年、ハンジン(韓進)重工業でのキムジンスクさんの籠城闘争と「希望バス」の闘いは、全国から数万人が結集する大闘争へと発展した。08年、イミョンバク(李明博)政権に対して、米韓FTA(自由貿易協定)反対、米国産牛肉輸入阻止で労働者民衆の100万人ロウソクデモが大爆発し、今や政治権力の奪取ということが具体的課題となっている。
パククネ(朴槿恵)政権のもとで、労働者1800万人の半数以上が非正規職であり、大卒の5人に1人しか正規の職に就けない現実が強制されている。民主労総は絶対非和解の闘いを貫ける指導部を作り出す闘いへと突入している。